潜在意識 〘 元祖1式 〙 人生反転実験してます

潜在意識〘元祖1式〙で、人生反転できるか実験してます。

〘 元祖1式 〙34日目 現実は自分で創った

 

今日はフラットな気分。

 

訳あって寝不足気味。

 

寝不足だと、幸福感が少ない気がする・・・

 

体調メンテナンスは大事だなぁと再び痛感。

 

 

 

さて、今日は面白いことが起こったよ。

 

今日は朝からずっと、既にある世界について考えてたの。

 

私、体感したとはいえ、まだ達人には程遠い。

 

私にとって体感が薄いのが、「世界=自分」ってやつ。

 

世界をあるがままに見ることで、実践はできたけど、

 

なんだかまだ馴染まない感じなのです。

 

 

 

で、今日はずっと

 

「この世界は完璧なんだなぁ」

 

「この世界は全部、自分が創ったんだなぁ」

 

「自分が創ったんだから、完璧な世界なんだよなぁ。(そう見えなくても)」

 

って体感するために、感じて過ごしてみてたの。

 

 

 

だから、自分の視界に何が入っても、

 

「これも完璧に創ったんだなぁ」

 

とひたすら繰り返してみてた。

 

そしたらね、

 

(自分的に)すごいことが起こったの!

 

 

 

仕事帰りに、バイクを運転しながら、

 

「はい! あれも完璧! これも完璧!」

 

「わぁ、完璧に創れたんだなぁ」

 

ってずーーーーーっと考えてボーっと体感してたら、

 

突然、世界が本当に完璧なんだと思えてきて、(というか感じてきて)

 

視界に入る全てがキラキラしてみえた。

 

そう、完璧なの。全部ね。

 

良いも悪いもあるようにみえるけど、

 

自分の喜ぶようなものばかりじゃないけど、

 

だから、世界が(自分の喜びを感じる意味での)完璧にみえなくても、

 

私の思い(内側)が創った、と言う意味では、

 

本当に完璧に創られてるやん!!!!

 

って、思ってビックリした。

 

 

 

視界に映っているものだけじゃなくて、

 

上手くいっていない状態についても、

 

私がそれを信念としていて、内側に持っている。

 

それが世界に反映された、と言う意味では、完璧だったの。

 

 

 

うん。

 

本当に精巧に、完璧に反映されてる。

 

全てのことが、隙間なく完璧に。

 

そのことが、体感できたの。

 

 

 

そして、その感覚に

 

「すごい!すごい!完璧だった!!」って

 

感動していたら、

 

私の周りの車のナンバーが、全部ぞろ目なことに気が付いたの。

 

まるで自分の意思が反映されて、

 

あっという間に出来上がったみたいに、

 

周りのナンバーが「5555」「6666」「88888」「4444」「3333」

 

ほんとにこんなことある!?ってビックリした。

 

シンクロは全てある世界には関係ないっちゃないことなんだけど、

 

私は車のナンバーを眺めるのが好きで、ぞろ目だとテンション上がるタイプw

 

だからね、私にとってその光景は、

 

世界が『そうだよ、全部あなたのものだよ』って、

 

私の考えを肯定してくれてるような気がしたの。

 

 

 

でね、「わぁ、すごい世界だ! 全部自分の思い通りだ!」って感動しながら

 

右折で角を曲がったとき・・・

 

その先にいたのは、私の欲しくて大好きな車「ベンツ G - class」だった!

 

 

 

もうその時、「わぁ、私の欲しいものはやっぱり全部ある!」

 

としか思えなかった。

 

世界に『おかえり』って、歓迎されたような気分だったの。

 

 

 

まぁ、偶然が重なっただけ、と解釈してしまえばそれだけの話。

 

だけど、自分には世界が答えをくれたような感動をくれた、と思った。

 

 

 

でね、今日の話なんだけど、

 

まずはやっぱり、思考停止が基本なのは当たり前として、

 

その背景に必要なこと。

 

「自分の創った世界を、全肯定して受け取る」

 

ということ。

 

 

 

私、世界=自分、とか。

 

世界は自分が全て創った、ゆえに完璧! とか。

 

なんとなく受け入れ辛かった。

 

だけど、気が付いた。

 

先ほど言ったみたいに、

 

世界は自分の思っている(信じている)ことが反映されてる。

 

要するに、自分が創ってる。

 

自分が創った、と言う意味では、良くも悪くも、完璧なんだ。

 

 

 

それをただ、受け入れることが必要だった。

 

ただ、世界が完璧に反映されている、ということを、

 

なぜにこんなに受け入れられなかったか。

 

エゴが瞬時に「良い」「悪い」って、ジャッジしていたからだね。

 

ここにもエゴの声が入り込んでた。

 

 

 

まずは、あるがままの世界を、一旦受け入れる。

 

エゴのいい悪いという判断は無視して、

 

「完璧なんだ」として受け入れる。

 

この訓練ができていないと、

 

この、丸ごと抵抗せずに受け入れることができるようになってないと、

 

メソッドなんかをして、

 

自分の内面が変化して、

 

現実の内容が変わっても、

 

やっぱり「こんなのは完璧じゃない!!」って、

 

拒否しちゃうんじゃないかと思うんです。

 

 

 

自分の望むピッタリ、寸分たがわないものでないと受け入れない。

 

それって、自分の内側をズタズタに傷つける行為。

 

傷ついた内面からは、傷ついた現実しか現れない。

 

 

 

こんなにも世界は完璧で、

 

自分の内側はこんなにも精巧に、健気に現実を創り続けてくれてる。

 

それなのに「こんなのは駄作だ!」って否定するの。

 

自分自身では自覚できなかったとしても、

 

自分の内面(本当の自分)を否定する行為と同じ。

 

だから、自分が否定される現実が続く。

 

 

 

自分で否定していることが、自分を否定する。

 

現実を否定しているだけのようで、自分を否定している。

 

否定のループ。

 

ただあるがままに、自分を受け入れることができたら、

 

現実でも自分が満たされる現実が表れる。

 

だから、自分=現実なんだから、まずはこの現実を丸ごと愛してあげよう。

 

そうすれば、

 

 

 

現実を愛する=自分を愛する

 

自分を愛する=現実を愛する

 

 

 

どっちからのアプローチでもいいと思うし、

 

もう、全ての区別をやめて、

 

自分も世界(現実)も、愛してやればいいと思う。

 

 

 

愛する、のやり方は、

 

愛する=全て受け入れる、だから。

 

 

 

無償の愛とは、コントロールすることを辞めること。

 

そのものを、人を、あるがままにいさせてあげること。

 

もちろん、自分自身だってそうしてあげなきゃね。

 

 

 

世界はちゃんと自分を見てる。

 

世界は自分から離れていないよ。

 

今日はそうやって気づかせてもらったから、

 

なんだか心細かった心が、とても穏やかになった。

 

 

 

あるがままって、とても自由で慈しみ深いことだ。

 

とても幸せな世界だ、と思った。

 

 

 

今日はすべてをあるがままにしましょう、っていう話でした。

 

愛せなくても、認められなくても、受け入れられなくても、

 

ただ思考停止して、あるがままに眺めているだけでもいい。

 

ちょっと自分の握っていた手綱をゆるめたら、

 

世界もゆるやかにほどけて、幸せな表情をすると思う。