〘 元祖1式 〙35・36・37日目 自愛
この3日間、
世界=自分、をもっと体感したくて、
それ以外何も考えずに過ごしていました。
「この世界は自分で作ったんだなー」
「自分の内側がそのまま反映されてて、ある意味完璧なんだなー」
現実に起こっている、不都合なことも丸ごとスルーして、
ただ、「完璧なんだ」ってことを受け入れてみていました。
最初は受け入れる云々より、
私の内側ははんでこんな不幸収集家なのかしら?
私の内側は、なんでこんなのを創ったのかしら?
というような、不思議と言うか、疑問が湧いた。
結局、今自分がそうやって「なんでこれ??」って思う部分が、
本来(真実)の自分と外れて、
エゴの茶々入れに騙されて信じ込んでしまっている部分なんだろうな、
って思った。
そこに、ある意味、良いも悪いもなかった。
そう。
その現実に現れてる???の部分。
これ自体に、やっぱり良いも悪いもないのよ。
ただただ、「どうしてこれを信じちゃったんだろう?」っていう
疑問が湧くばかり。残念な気持ちと言うか・・・
そうして過ごしていると、
だんだん、「そうか!世界は私が創った!」という閃きみたいになってきて、
「そうだ!あれも、これも、私が創った!」
と、現在手元や周りにあるものに対して、そう強烈に思うと共に、
「だったら、あれもそれも私が創った!!」
と、今ここにないもの、世界にはあるけれど、身の回りにないものについても、
強烈に「私が創った!すごい!」という気持ちが膨れ上がった。
それは、手元にあるなしに関わらず、
世界に存在するものは全て、
無意識だけど自分が創った!と受け入れた瞬間だった。
私の捉える世界が、=この宇宙全体になった。
目に見えないものについても、=私と体感した瞬間だ。
その次に湧き上がったのは、
世界を創った私すごい!
・・・ではなく、この世界は私が創ったらしい。
そうだったら、この果てしなくみえて、自分とも無関係にみえる部分の世界も、全部全部私に関係あるらしい。
と、思えるようになってきていた。
自分の現実に対する意識が、拡大したともいえるし、
世界全部が自分の手中におさまった感覚ともいえる。
そうなると、この世界に生きている " 私 " の存在が、
今まで自分が思っていた立ち位置と、本当は違うような気がする。
と感じるようになってきた。
今までは、世界 > 私、だったのね。
この果てしない、想像もできないくらい広い世界の中で、
小さく震えながら、心細くて不安定な、とても小さな " 私 " だった。
それが、世界 < 私 に大反転した。
この世界は、私が創っている。
この世界は、私が死んだ瞬間に消滅する。
どれだけ広い宇宙や世界だったとしても、
それを捉える " 私 " が消えた瞬間、これらはすべて「存在すること」すらできない。
だって、この世界を創ったのは私であり、この世界を見ることができるのも私しかいない。
今現在、私が見ているこの現実は、他人には見ることができない。
他人の見ている世界も、私には見ることができない。
そうなんだ。
私が創っているこの世界は、私にとって現実であり、私にだけ見える世界。
そして、それを創っているのは、ただ一人、「私」だ。
そう行きついたとき、「この世界には自分しかいない」
それがハッキリと分かった。というか、理解した。
そうなれば、この私しかいない世界で、
私と共に生きて、私と共に消えるこの世界で、
一体誰が一番重要な人物なのか。
当然、私だろ?
この世界で一番重要で、一番大切なのは、私。
私以外に大切な存在なんて、いるわけない。
私はこんなにも大切な自分の存在を、
今までどれだけぞんざいに扱ってきたのか。
私はこんなにも大切な自分の存在に対して、
今までどれだけの罵声を浴びせ、やりたいことをさせず、
したいことすら取り上げて追い立ててきたのか。
自分が自分にしていた悪行に、驚愕した。
自分をこの宇宙一大切な人、として考えた。
そうしたら、やりたくないことは、やりたくなかった。
2日間、仕事を休んだ。
実際に風邪を引いたんだけど、
微熱だったから、
いつもなら無理やり出勤してる。
でもそれをさせず、身体を休ませることにした。
(その後出勤可能かの目安としてPCR検査受けるハメになったけど^^;)
その間、やりたくないことはやらず、
自分がしたいと思ったことは何でもやった。
眠りたい時に眠って、
遊びたい時に遊ぶ。
昔は大好きだったこと。漫画を買って読んだ。
聴きたいと思ったら、短時間・一曲だけでも聴く。
食べたい時に食べて、食べたくないときには食べない。
好きだと思っていても、気が乗らないならやらない。
やっていても、気が乗らなくなったらすぐにやめる。
まるで子どもみたいだった。
そうやって過ごしてみると、
その「やりたいこと」に、「トイレに行く」も含まれてることに気づいた。
一瞬頭に浮かぶのに、まぁ我慢できることだからと、
『あとでいいや』と瞬殺で無視して、他のことを優先してた。
「水を飲みたい」も同様。
自分は忙しく生活をするあまり、
生理的欲求までコントロールする(我慢させる)ようになってた!
と思って、またまた驚愕した。
自分を自由にさせて、自分の声をよく聞くようにして、それでやっと気づけた。
大事な自分が、誰よりも幸せな気分でいられるように配慮して過ごしていると、
今までになかった妙な満足感と幸福感が、湧き上がって来た。
そうやってじんわりした満足感と幸福感に浸って少していると、
「自分がいかに宇宙一大事で価値があるか」と思うようになった。
そして、この世界が私だけのものなら、
この世界で一番大切なのは自分。
そして、その自分の幸せだけを考えて生きていいんだ!
という妙な確信が芽生えた。
宇宙で一番、かわいい存在。
宇宙で一番、大切な存在。
宇宙で一番、幸せにしなきゃいけない存在。
自分は今のままで 完璧だ と思った。
能力が完璧だとか、
容姿が完璧だとか、
〇〇を持っているから完璧だとか、
そんなのは一切関係ない。
私が存在している、ということが完璧だ、と気づいた。
私は、私以外の全てと比べる必要がない。
私が、私のために、私単独で、素晴らしい んだと気づいた。
誰かと比べる必要がない。
だって、その誰かも結局、私が創った世界の一部のことでしょう。
世界=私だから、私を私と比べることと一緒やん。
だったら、そんなことする意味が全くない。
そうしているうちに、現実の方で、美容院の予約時間になった。
美容院でシャンプーしてもらっているとき、
マッサージをしてもらっているとき、
頭を乾かしてもらっているとき、
なんだか妙な体験をした。
『は~、気持ちいい~♡』
と感じているときに、
美容師さんにシャンプーしてもらっているはずなのに、
私が私から(私の世界から)、施しをしてもらってる、還元してもらっている、
という気分になってビックリした。
他人にしてもらっているはずなんだけど、
自分が自分に、自分を幸せにする行為をしてあげているような、
ほんと言葉にできないけど、妙な気持ち。
そしてお金を支払うときも、
『は~♡ 私は私に私を幸せにしてもらった分を還元してる♡』
まるで、自分にお金を支払っているような気分だったの。
だから当然、「なくなる」って意識じゃなくて、
ただ、自分のお財布から、自分の金庫に戻しただけのような、
ただ 自分から → 自分へ って循環しただけのような、ホント不思議な感覚!
苦痛は一切なくて、ただただ幸せを循環させたような、そんな豊かな気分になったのでした。
家に帰ってきて、「世界=自分」って、こんな感じなのかな? と思った。
世界には、他人も店もその背景も宇宙も全部含まれる。
それが、=私。
だったら、私が発する全ては、やはり自分に還っていくのかな、と思った。
それが幸せな気持ちや行為なら、豊かさが。
それが憎悪や意地悪な行為なら、不足が。
世界に循環していくのかな。
他人にしたと思っている行為が、実は自分にしているのと同じで、
他人にされたと思っている行為が、実は自分がしたことと同じで。
ちょっと訳わからなくてまとまらなくてごめんなさい。
とにかく、世界=私だということに、やっと体感付きで気づけたのと、
そうなると、世界にはやはり自分しかおらず、
その唯一無二の存在である私は、
私しかいないのだから、最優先事項として大切でしかなく、
世界は私しかいないがために、全てが循環している。
もしくは全ては自分に還元される。
・・・ということが分かった3日間だったのです。
で、私がこれ以降、具体的にやり始めたのは、
自愛なんです。
いや、自愛の土台を構築できた、というのがでかいんだけど、
あれ以降、自愛が断然やりやすくなって、
「私は宇宙一大切で奇跡の存在」
「そんな私は幸せになってもいい」
「私はもうすでに幸せでもあるけど、もっと幸せになっていい」
「私が悲しむようなことは、もう金輪際しない!」
・・・という決意のようなことにも繋がり、
今は元祖1式でずっと止めてきた、
自分を傷つける「思考」を徹底的に叩いて黙らせてる状態。
自分に自信がない思考が湧いても、
宇宙一大切な私が脅かされることが、今は本当にあり得ない!と思えてて
「いや、宇宙一私は素晴らしい!完璧なんで!」で堂々と潰せるようになった。
今までは元祖1式で思考を停止しても、
止めた後すぐ、
『・・・そんなこと言っても、お前は〇〇もできないじゃないか』
『そんなこと思おうとしても、お前は〇〇より劣っているじゃないか』と
自分を苦しめるセリフを、エゴがすかさず吐いてきてたのに、
自分の価値が低いとは、もう全く思わなくなったので、
なんなく停止することができるようになりました。
自分の価値は、自分の思っている世界の中で一番です。
だって、世界には自分しかいないんだもん。
だから、こんなこと思ってたら笑われるかも・・・
とか思わず、
堂々と「私が一番大切!」「私は今のままで完璧!」「唯一無二の存在!」
と認めて下さい。
世界=私、がまだよくわからなくても、
この公式はなくなっていない。ずっと機能している。
だから、迷わず、「まずは自分を一番幸せに」してください。
まずは「自分を一番に喜ばせて」あげてください。
そうすれば、公式の通り、それは循環して世界から自分にも還ってくる。
私も分かったばかりですけど、
分からなくても、世界=私の公式は存在しています。
私は、それを体感しただけ。
体感してなくても、公式は絶対だ。
だから、迷わず自分ファーストでいきましょう!