〘 元祖1式 〙38・39・40日目 エゴの好きな話
この3日間も、体感することを目的に過ごしていました。
認識の変更された世界。
安心の世界。
だけど、やっぱりエゴはよく喋る。
だから、認識変更後の世界に浸っていることが難しい瞬間がたくさんある。
そこで、既にある世界の感覚を絞って、
こんな感覚!を明確にして、
エゴに飲み込まれた時に、すぐにそこに戻ってこれるようにした。
自分が戻るべき世界の感覚を決めた、ということ。
既にある世界は、安心、完璧、全てある、安全、幸せ、ワクワク・・・なんとでも表現できる世界なんだけど、
安心とか安全とかって、少し私にとってはふんわりしてて実感しにくい。
だから、私にとって安心・安全・幸せ♡ってなる感覚を考えてみた。
私にとって至極の時とは、
全部の家事を終えて、子どもも眠って、
自分がお布団に入って、さぁ、もう寝ていいよ!
・・・って時が一番の至福の時なの。
ご存じの通り、私には3人の子どもがいるので、
起きている間は仕事を除いても、
ずっとやることがあって、
気にしていなきゃいけない存在がいて、
いつも何かしらやっているの。
だから、その全部が終わって、
「さぁ、もう寝ていいよ!」「え?いいの!?」「ほんとにもう眠ってしまっていいの!?」
っていう、一日の終わりが、一番の、この上ない解放感で、幸せな気持ちになる時間なの。
で、自分の体感できる幸せで一番明確なのがこれだったので、
エゴに飲まれて、自分がどこに戻ればいいのか見失った時、
お布団と毛布に包まれてる至福の感覚を、
戻るべき世界の感覚、に設定した。
そしたら、私なりの既にある世界に、一瞬で戻れるようになった。
この毛布フワフワ♡もう寝ていい♡幸せ♡の世界にいつもいるように気を付けてた。
そしたら、その安全な世界に居ながら、
エゴの言葉を停止したり、スルーしたり、何も感情を入れずに眺めることが可能になった。
この感覚が、本当に心地よくて。
ふっかふかの幸せなの。
そこから眺める現実世界で何が起こっても、
「はぁ。そうですか。どーでもいいけど」
って優しい気持ちで眺めて流すことができるようになったの。
ようは、エゴに飲まれることが劇的に減った。
エゴがどんな悲しい気持ちを持って訴えかけてきても、
『だって私、こんなあったかい世界にいるの。だから安全だもーん』
って、エゴに巻き込まれずに、既にある世界に居続けられた。
エゴのお喋りを聞いて、恐怖に飲まれることも多かったけど、
基本的にフワフワ幸せ安全♡の世界にいるので、
『そうは言っても、それ、噓でしょう』とか
『わぁ、本物っぽい。だけど、今の私にはあんまり響かないなぁ』とか
軽く流せるようになりました。
戻るべき立ち位置・感覚が明確になったから、そこに居やすくなったの。
それでね、そんな感じでエゴの話をひたすら停止したり眺めていたりを繰り返していたら、
あることに気が付いたの。
私のエゴが見せる現象(現実での出来事)や、
出来事に対して反応したエゴがよく喋ることって、
いつも同じだな。ってことに。
私の場合、
エゴは、「愛」に関することでよく喋る。
前々から恋愛について悩まされてきたけど、
ただひたすら思考停止や思考を眺めることをし続けていたら、
その輪郭がはっきりしてきた。
エゴが何をしたいのか、エゴが何を怖がっているのか、わかるようになってきた。
私のエゴは、「愛することは悲しい」を訴え続けていた。
元カレのLINEを消したこともあったけど、
LINEが来なくなったらなったで、
捨てられたことについて、延々とお喋りして、私を責める。
彼に愛されなかった自分、それほどに魅力のない自分。
そう言ってくるエゴの声を、今回ずっとずっと眺めていて、
「あんたその話題好きやなぁ」
「愛されない、選ばれない自分、興味を持たれない自分・・・を繰り返して何が楽しいん?」と
半ば呆れ気味に思った時、
突然、ある記憶がよみがえってきた。
自己紹介に書いた通り、
私は親に愛されずに、さらに虐待を受けて育った。
母には姉と比べていつも蔑まれ、
あげくは「生まれてくるのは、(あんたじゃなくて)別の子が良かった」と言われる始末。
気に入らないと殴られ、
当然、興味も持たれていないので、基本的に放って置かれてた。
あぁ、なんで急にこんなこと思い出したんだろ?
と思ってから、とても納得した。
私、「愛」に関して、
今までずっと、これを繰り返してたんじゃないかな、って。
「(母に)愛されない私」
「(母に)選ばれない私」
「(母に)興味を持ってもらえない私」
母のことは愛してたんだと思う。
だってそうでなきゃ、こんなに傷つかないだろうから。
だから、その経験から、
「愛しても報われない」という愛が、
「愛することは傷つくこと」という愛が、
「愛しても相手は愛してくれない」という愛が、
私の中で普通であったり、
私の中で人生の中で一番大きな関心ごとになったのかもしれないね。
だって、子どもの頃の自分にしたら、死活問題だったから。
自分の存在を、根本から否定された経験だから、
そこからいつまでも抜け出せなかったのかな。
そして大人になった今、
無意識にそれを実現していて、
そのたびにエゴが騒ぐ。私を傷つける。
でも、エゴからしたら、
「ね!?ほら、愛されなかったでしょ!?」
「だってあなた、存在が必要ないもんね!?」
「誰もあなたの存在を喜んでないもんね!?」
って、私の信念が実現したことを、喜んでくれてたのかもしれない。
「ね!?あなたの信じていることは、ちゃんと実現しているでしょう!?」ってね。
で、まさか自分の信念が実現化してるだなんて、信じられない私は、
「うわーん、エゴがいじめてくるー!!」
「現実ってなんでこんなに酷いんだろー!!」
って、苦しんでいたのがホントのところかもしれない。
エゴがいつも同じところで騒いでくれたので、
自分の人生においての一大テーマがよくわかった。
で、どうしたかというと、
『わぁ、本当に私が現実を創ったんだなぁ!』
『ほんとによくできてる! 信じていることのまんまだな!』
『そら元カレにもテキトーに扱われるはずだわ!わはは!』
と、別にエゴを否定するでもなく、妙に納得したのでした。
そしたら急に、
「別に私、相思相愛でもいいよな 」
「私が愛したら、愛されてもいいか」
って心底腑に落ちた。
今まで自分が愛されるイメージが湧かなかったというか、抵抗感がものすごく邪魔をしてたのに、
受け入れた途端、急速に、その悲しい公式が消え失せました。
今日のまとめ。
やっぱり、現実は自分が100%創ってる。
その再現率は100%!!
その精巧さといったら宇宙一!! すごいよね!!
で、私がとる行動としては、
そのことをちゃんと受け入れることと、
エゴの言葉に反応して苦しむんじゃなくて、
自分にとって重要なことのお知らせアラームとして利用する。
要は、現実がおかしなことになっている観念を見つけるアラームとして利用する。
そして、それに同化するわけでなく、
既にある安全な世界(立ち位置)から、それを眺める。(嘘だと分かるから)
以上!
自分にとっての安心・安全な気持ちを感じる瞬間って、どんな時?
それが=既にある世界だよ。
信じられなくても本当で、
よく分からなくても、その感覚の立ち位置からエゴをみてみて。
完全に安全な立場からなら、ものすごく客観的にエゴをみられるよ。
エゴと同じ立ち位置から見てたら、エゴに飲まれるよ。
必ず、安心・安全を感じる心の位置から、観察してみてね。
そしたら、エゴが訴えていることが、今は必要のない信念だったり、
実は思い出してほしいことがあったり、
まぁ人によってそれぞれかもしれないけど、
エゴとは違う、安全・安心な立場からなら、
エゴの言うことから何かヒントを得られることもあるかも。
既にある、がよくわからないならば、
安心・安全とか、幸せ♡って感じられる心の位置を見つけて、
思考停止するにも、心をその位置に定めてからすると、上手くいく。
元祖1式を始めたばかりのときは、
全てのことについてエゴがおしゃべりしまくっているので、
何が何だかわからないかもしれない。
その場合は、ある程度エゴの声が減ってくるまで、
なんでもかんでも停止しまくるのがいい。
そして、エゴの声が収束してきたら、
既にある世界の立ち位置から、ゆっくりエゴの中身をのぞいてみて。
ものすごく面白いことが起こるかもしれない。
※ 元祖1式をしていると、自然と既にある世界に気づくようになるから、別に上記のような方法を取らなくてもいいと思います! どっちやねん! 別にどっちでも、なんでもいいのよ。
あ!
ちなみに、現実が動いたの。
既にある世界に居続けるようにして、
エゴは完全に停止 or スルーが上手にできるようになったら、
LINEを消して連絡が取れないはずの元カレさんから、
なんと、連絡が来たんだよ! 向こうから! あら、ビックリ!
(LINE消したんだけど、なんと私、電話番号を交換していたみたいで、そっちから)
何がビックリって、「ふーん」と思った自分にビックリ。
あんだけこだわっていたのに。
潜在意識って、面白いよね!