潜在意識 〘 元祖1式 〙 人生反転実験してます

潜在意識〘元祖1式〙で、人生反転できるか実験してます。

〘 元祖1式 〙94-97日目 私の幸せは「刺激」だったみたい

 

最近のこと。

 

なんか、急にすべてのやる気が失せた。

 

「なる」のように断固としたイメージングと決意を持つのも。

 

現実を見て、感情を沸き立たせてしまって、それに対処するのも。

 

 

 

潜在意識が理解できるようになって、

 

信頼できるようになっても、

 

やっぱり人間である限り、

 

不快な出来事や、不快な現象は起きるのであって、

 

それに感情が揺さぶられることは、あるんですよね。

 

 

 

で、潜在意識のことを知っているから、

 

理解しているから、信頼しているからこそ、

 

現実は「幻想」ってことも分かるんです。

 

だから現実に反応した自分を思考停止で切り捨てたり、

 

『あぁ、これも私には関係ないんだったな』と思って、

 

思考停止だけじゃなく、それをポジティブな決意で塗り替えたり、

 

色々していたんです。

 

基本的にポジティブで返す、って感じ。

 

 

 

だけど、この数日、

 

なんかそれがどうでもよくなってしまって、

 

ポジティブなイメージングも、なんか飽きてしまって。

 

自分でもよく分からないけど、

 

ポジティブに起こす(現実にも内側的にも)何もかもが、

 

面倒になって仕方なくなった。

 

 

 

結局、

 

すべてはなるように現実に反映されて起こってきてて、

 

それに対する(思考停止も含めた)何もかも、

 

実はどうでもいいんじゃないかと思えてきた。

 

 

 

そうやって意図的にではなく、

 

なんなら脱力的に、何もしなくなってしまった。

 

 

 

そうしたら湧いてきたのが、

 

何もしないことへの不安。

 

 

 

思えば本願が発生してから、

 

潜在意識を「意識」して、

 

自分を奮い立たせて頑張って来たな。

 

 

 

達人さんたちが言う通り、

 

ある程度の軌道に乗るまでは、

 

そのための努力は必要だったな、と思う。

 

 

 

私はまだまだ実践者で、

 

達人の域には程遠く、

 

色々と思うこともある。

 

 

 

なぜなら、

 

本願は達成されたけど、

 

それ以外はそれほどでもなく思えたからだ。

 

金銭面や、「モテる」という意味での人間関係、普段の何気ない日常など。

 

私が『はぁぁ♡幸せ♡』と思えるには程遠く、

 

せっかく幸せになってはいるのに、

 

その反面で不満が少しずつ増えてくるというか・・・

 

 

 

それで気づいたのよね。

 

「なる」などでの本願達成は、

 

私にとって「刺激」でしかなかったってことに。

 

 

 

一見、幸せな出来事が起こるんだ。

 

だけど、それが当たり前になっていく。

 

そうすると、新たに「不足」を発見して、

 

また改善するために願う。

 

これを繰り返している。

 

 

 

考えてみると、

 

そうやって少しずつ螺旋階段を登っていっている、ともいえる。

 

少しずつ幸せが改善・向上されていくのなら、

 

いつかは幸せな世界に辿り着くのかもしれない。

 

ここで放り投げてはいけない気がする、って。

 

 

 

でも、

 

明確に私は「不足」を感じていて、

 

幸せなはずなのに「不足」を感じていて、

 

それに煩わされるようになった。

 

 

 

それは、住むところも食べるものもなかった人が、

 

住むところを得て普通に食事をできるようになり、

 

それがいつか当たり前になってくると、

 

もっと裕福な生活を夢見るようになる感じ。

 

住むところがあることだけでも幸せだった私が、

 

いつしかその有難みを忘れて、

 

ゴージャスな生活じゃないことに不満を言い出してるみたいな。

 

 

 

けっして「望みを持つ」ことが悪いという意味じゃなくて、

 

なんというか・・・際限がない感じ?

 

そう。

 

これじゃあずっと、幸せになれない気がする。

 

って、気づいたのかもしれない。

 

 

 

それでここ数日以来、

 

なーんもしなくなった。

 

しなくなっちゃったの。

 

不都合な現実が来ても、

 

仕事しんどいなーと思っても、

 

もうそれに取り組まない。

 

それを塗り替えるために潜在意識も使わない。

 

願わない。改善しない。

 

ただ受けるだけ。

 

ただ、過ごすだけ。

 

現実はなーんにも変わらない。

 

変えようとしもしてないから、当然変わらない。

 

でも、それでもなーんにもしないの。

 

 

 

で、私の心境なんだけど、面白いことが起こってる。

 

お風呂に入っているなら、お風呂に入っているだけ。

 

しんどい仕事をしているなら、ただその仕事をこなしているだけ。

 

ご飯を食べているなら、食べているだけ。

 

え? っていうくらい、普通でしょ。

 

だけど、中身が違うの。

 

 

 

私、ここ最近やっと、にいるんだよ。

 

 

 

仕事をしているときはその目の前の仕事だけ。

 

ご飯食べているときは、そのご飯のことだけ。

 

お風呂に入っているときは、お風呂で一生懸命体を洗ってるの。

 

 

 

ふっと気づいたの。

 

私、大人になってから、

 

いつもいつも何かをしながら、その先を案じていたの。

 

お風呂に入りながら、

 

『あー、今からお風呂なら、上がれるのは〇時くらいになる。それなら寝るのは〇時になっちゃうなー』

 

朝ご飯を食べながら、

 

『あー、今日は〇〇さんお休みの日だから仕事量が1.5倍だな。そしたら帰ってきた時にはこんくらい疲れてるだろうなー』

 

仕事をしながら、

 

『この仕事しんどいなぁ。これ終わったらまだ○○して、〇〇も残ってるなー』

 

 

 

こんな感じで、

 

大人になって、先が読めるように頭が育ったがゆえに、

 

先のことを想像・計画して、

 

そして本当は、まだ起こってないことに対して、心の中ですでに疲れてたんだな。

 

って思った。

 

 

 

最近、冒頭から書いているように、

 

先をコントロールというか、願うことにひどく疲れていたので、

 

先のことをなーんも計画せず、先読みせず、

 

ただ目の前にあることだけに着手することにしてた。

 

してた、というか、そうなってた。

 

 

 

そしたらね、

 

なんか、何も考えなくなったの。

 

目の前にあるものをただこなす、って感じではないな。

 

味わうってほど力も入ってない。

 

でもなーんも感じないわけでもない。

 

ほんわか安心・安全なときに感じる感覚に、浸ってるようになった。

 

 

 

で、頭で理解したの。

 

この感じって、

 

既にある世界の安心感と一緒だなぁ、って。

 

 

 

目の前のことに、必死に集中してたわけじゃないのに、

 

目の前のことしかないから、それをやってただけ。

 

そこに何の不安も期待もないわけです。

 

そしたら、妙に、何でしょうこの感じ。安心するんだよね。

 

落ち着いてる、ともいう。

 

 

 

で、これは頭での解釈だけど、

 

あぁ、私、手放したんだなぁ、と思った。

 

なんか疲れて放り投げただけだから、あれなんだけど、

 

潜在意識に、全て丸投げしてるんだ。

 

って思った。

 

 

 

なんとそこには、

 

なんの幸福感も、不安感も、期待も、ワクワクも、

 

なーんもないの。

 

だからエゴが、「願わないとマズイよ!」「頑張らないとマズイよ!」って騒ぐ。

 

だけど、

 

なんかもう、どうでもいい。

 

だって、必死に願って叶っても、新たな不満がでてくるなら、意味ないじゃん。

 

そういう獲得レースをやり続けることに、疲れちゃったんだよ。

 

 

 

エゴが

 

「潜在意識を意識して(ヘンなの。笑)過ごさないと、何も手に入らなくなるよ!」

 

「何かを願わなければ、何も叶わないよ!現状が続いちゃうよ!」

 

って不安を掻き立てて騒いております。

 

 

 

それが本当に思える気がして、面白いんだけど、

 

だけどもう、何も叶わなくてもいいかもしれない。

 

現状で十分、って思うことに、

 

なんでか悲しみと不安がのしかかってくるけど・・・

 

そうだね、これがエゴの声なんだろうなぁ。

 

 

 

本物みたいな不安!

 

すんごいよくできてるよね!

 

感心するわぁ。ほんと。

 

 

 

でもさ、本当の意味でネガティブな感情や思考って、

 

本当に自分のものじゃないんだろうな、って思う。

 

それが「本当にそうだった!」って確信できる現実を欲してしまうけど、

 

それももう諦めた。

 

 

 

多分、ネガティブは私の本当のものではない、と思う。

 

ポジティブもなんか、同質のもの、と思う。

 

なーんもない、でも不安もない。

 

なーんもない、でも期待もない。

 

まるで「無」みたいなこれが、デフォルトなのかな、私の。

 

何にも関心がない、っていうのが、私の落ち着く心の在り方なのかもしれない、

 

と思いました。

 

 

 

「無」の立ち位置にいると、

 

華やかな感情は、刺激なんだなぁ、と思うようになった。

 

私はその「刺激」を幸せと勘違いしてたのかもなぁ。

 

「刺激」は結局「刺激」でしかなくて、

 

それは麻痺していくから、どんどん強い刺激でしか幸福を感じられなくなる。

 

 

 

それなら私は、もう「刺激」に疲れたから、

 

幸福にならなくても、いいや。

 

なーんも考えない。なーんもしない。

 

 

 

あれー。

 

これって、元祖1式やん。なんじゃこりゃ。

 

って思った。

 

私は今まで、元祖1式をちゃんと実践できてなかったのかもなぁ。

 

じゃぁ、この状態が続いたらどうなるんだろうね。

 

 

 

でももう、期待するのも疲れたからなぁ。

 

でも現状をただこなすだけ。

 

なるようになるし、悪いようにはならないのかもな。

 

「無」に慣れなくて、

 

「無」が虚無に感じる。

 

幸せを「刺激」から受けていた私には、まだ落ち着かないなぁ。

 

 

 

 

またしばらく、観察しながら過ごしてみます。