〘 元祖1式 〙98-100日目 頑張ってきた私は傍観者になった
なんと!
元祖1式を頑張り始めて、とうとう100日目になった!
記念すべき100日目。
前回、何もかもしなくなった、と書いた。
そうやって過ごしてみて、
分かったことがある。
究極の手放しは、元祖1式だった、ということ。
何もやる気が起きなくなって、
イメージングもアファもしない。
そんな風に過ごしていた。
現実に不都合(そうな)ことが起こっても、
気にしない。
そんな風になった。
何もしなくなった私の内側を詳細に書くと、
職場のいけすかない女性。
この女性がイライラすると、
『わぁ~、また何か嫌味を言われるかもしれない』
『またミスして怒らしちゃったかな?』
『私の何かがいけなかったからだ』
という感情と思考が自動的に湧いてくるんだけど、
それを、
「この感情も思考も、私のものではない」
と、無視するようになった。
こうなってほしい!というポジティブなアファもしない。
感情も込めてない。
ただ、「私のものじゃない」と、淡々と却下している。
そうすると、何も感じないし、何もしなくてもいいから。
現実に、彼女の機嫌を取ることもしないし、
自分の行動を改めることもしない。
『この現実は私には関係ない』
として、感情や思考が動くのを瞬殺で止めている。
そうこうしていたら、
私の行動は勝手に「現実の彼女も無視する」となってしまい、
彼女が嫌味を言っても反応しないし、返事もしない。
となってしまった。笑
そうしたら、
頭の良い彼女は何かを察したらしく、
(多分、私に嫌われている、もしくは私がいい加減怒っている、と思ったのかも)
イライラをぶつけてこなくなり、
なんでか私に下手に話しかけてくるようになった。
ビックリ。
でも、どーでもいいから、それを嬉しいとか気持ち悪いとか思う気持ちもどっかいっちゃった。
私にとって彼女は、ある意味どーでもいいから、仕方ないです。
あとは、恋人さん。
仲良くお付き合いをしてはいるけど、
なにぶん、ものすごく多忙な人なので、
私が会いたい時に会えない。
前回は会いたいと言いすぎてフラれたのもあるので、
あんまり会いたいと主張もできず、モヤモヤする部分があった。
それも、どーでもよくなった。
『私が会いたいと思うのだから、会えるかどうかは別にして、会いたいのだ!』
と思うようになった。
そうしたら、彼の方から
「(会いたくなったら)僕も言うから、いつでも言ってくれていいよ」と言われ、
1回会うと、いつも2週間以上は間があくのに(相手が忙しいのは本当。彼は複数の会社経営者だから出張も多いし)、
なんと忙しい合間を縫って、
なんなら無理くり時間を捻出して、
前回からたった1週間で会いに来てくれた。
会えたのは嬉しかった。楽しかった。
会えた時の私に対するベタ惚れ具合がすごかった。
でも、その感情や思考に過剰に盛り上がることもなく、
『なるほど、現実ではそうなってくるわけね』
と、起きた出来事に対して、心底受け身でいる。
それ以外では、
彼からの連絡が異常に増えていること。
会ってない間のコミュニケーションが増えた。
というか、私にとって分かりやすく『大事に想われているなぁ』という現実が増え続けている。
でもね、
現実順調やん!
とも思うし、実際そうなっていっているんだけど、
ちょっと思ったのが、
どんなに幸せな現実がきても、
不足を探そうと思えばいくらでも探せるんだなぁ、ってこと。
例えば、彼と会える日が多くなったとて、
会えていない日はあるわけで、
そんな間に、勝手に『愛されていないかもしれない』って感情・思考が湧くのよね。
逆に言えば、そこに何の証拠もなくても、
「不安」は勝手に湧いてきてる。
それに、気が付いた。
悪い妄想をすることは本当に簡単で、
『会っていない間に、彼は他の女性と遊んでいるかもしれない』
これって、ただの悪い想像ともいえるし、
でも本当は真実かもしれない。
ね、良い想像も、悪い想像も、それを考えた時点では、どっちも真実なんだよね。
で、悪い妄想はしちゃダメ!!
って止めるというよりは、
そもそも、それ自体が存在しない、と思う大前提の方が真実だと思うのです。
上手く言えないんだけど、
どんな思考が湧いても、
それを「ある」という前提で「なかったこと」にするために止めるんじゃなくて、
その湧いた妄想が、「存在しない」って感じなの。
どんな幸せな現実を手にしていても、
隙間を見つけては不足を探す。
これは人間のサガなのかもしれない。
だけど、
もういいでしょう。
その不足、本当なの? って思う。
で、前回書いたように、
自分にとってはポジティブな想像も、
ネガティブな想像と同質のように思う。
それって、「本当なの?」って思う。
無理くりポジティブな想像をしたとき、
同時に湧いてくる不安があるよね。
「でもそうじゃなかったらどうしよう」
って、結局ネガティブな想像を同時にしている気がする。
だったら、何も考えなくても、いいんじゃないだろうか。
ここ数日は、
脱力して本当に何もしていない。
だけど、自分の内側ではこんな風に変化が訪れていた。
ポジティブを手放すのが怖かった。
何にもしなくなることに不安があったの。
だけど、手放してみて、流れに身を任せていても、
結局は幸せで自分に都合のいい現実が勝手に現れてきた。
というか、
ポジティブな創造を頑張っていた時より、
実現化が早い気がするのです。
なーんにもやる気が起きなくなってから、
本当に流れに身を任せている。
ただ、現実に対して、ネガティブな反応を起こした時、
『あぁ、これは嘘だ。私のものじゃない。全部捨ててしまっても問題は起きない』
と思うようになって、
そこだけは意図的に手放して、でも何も行動も起こさず、傍観している。
元祖1式が、いま一番上手にやれている気がする。
最近、エゴという言葉を使うことが格段に減った。
エゴもへったくれもないの。
全ての思考・感情は、どーでもいい。
これが今の私の結論。
何か理由も分からずモヤモヤすることがあっても、
たぶんね、ネガティブだったり、自分にとってしんどいことは全部、嘘なんだよ。
嘘だし、必要ないことなの。
だったらそれを改善するために頑張る必要もない。
そもそも必要ないものなんだから、ただ捨てる。それだけ。
最近はずっとそんな感じで過ごしている。
モヤモヤする → これは嘘
恥をかいて冷や汗 → これも嘘。存在しない。
小躍りするほど嬉しいこと → これも存在しない。
嬉しいことを喜ばない、って意味ではない。
嬉しいことに、過剰に反応しないってだけで、
これは自分にとって嬉しい・幸せだ、という認識はちゃんとある。
ただ、嬉しいに反応しないの。
そうしたら、その喜びを維持しようと行動を起こしてしまうこともないし、
その喜びがなくなる不安もない。
そうしたら、なんでかわからないけど、喜びが勝手に増えていく。不思議。
逆に、悲しみにも反応しない。
そうしていたら、わざわざ悲しみを増やす行動をする必要がなくなって、
私の場合は自然に、悲しみが減っていってた。
なんでそうなったのか分からないけど、
ただ何にも反応しない(思考停止)していたら、
自分にとって不都合なことが減っていってる。
あんなに減ってほしかった苦しみ、増えてほしかった喜びが、
自分でコントロールしなくても、手元に現れてきつつある。
元祖1式の開始時は、
悲しみを止めることだけで必死だった。
そして今、喜びを手放すことも学んだ。
やっと正式な元祖1式に辿り着いたのかと思う。
でも、それを目指して頑張ってきたいま、
なんと。どーでもいい。の心境。
元祖1さんはこれくらい、全て手放していたのかもしれないなぁ。
ほんと強者だなぁ、と思った。
最後に、どーでもいい話を。
恋人さんの支払っている住民税の月額が、
私の月収と同じくらいだと知った。
すげー!
こんなに税金納めてる人達が、世の中にはたくさんいるのか!と。
ほんと、自分のまだまだ知らない世界があるんだな。
面白い世界が展開されていってくれるといいな。
何が起きても、受け止めれるだけの余裕ができてきて、
それに伴って、世界が変化していっているように思う。
それは喜びにも反応せず、喜びに対する制限が外れたから。
これからも、起きてくることに受け身でいよーっと。
だってもう、何が起きてもどーでもいいんだもん。