潜在意識 〘 元祖1式 〙 人生反転実験してます

潜在意識〘元祖1式〙で、人生反転できるか実験してます。

〘 元祖1式 〙1年5ヶ月 世界で一番幸せになってほしい人

自愛の話です、また。

 

だけど、自愛って難しいんだ、人生サバイバーの人にとって。

 

だって「愛」が何かわからない。

 

「愛される」体験が極端に少ない。

 

もしくは、全くない。

 

他人に散々にこき下ろされてゴミのように汚物のように扱われてきた自分を、

 

今さら自分で愛する価値のある素敵なもの、だなんて思えないし、体感できない。

 

自愛が必要って、みんな潜在意識をしてたら、

 

きっとどこかのタイミングで気づいている。

 

だけど、避ける。

 

だって、苦しいんだもの。

 

自分の中に、こんなにも自分を汚物のように扱う気持ちがあって、

 

それと向き合わされる。

 

そのことが、死んでしまいたいくらい、苦しいんだもの。

 

身を裂かれるくらいに、痛いんだもの。

 

だから、そこをすっとばして、見ないふりして、

 

願望を叶えていいでしょ? って。

 

願望さえ叶えばいいんだから。

 

自分のこと好きじゃなくたって、願望を叶えたいだけだから。 って。

 

そうやって頑張ってるんだ。

 

だけど、どこかで苦しくなるでしょう?

 

なんでこんなに上手くいかないんだって、

 

幸せになるために頑張ってるのに、

 

幸せを感じるどころか、どんどん苦しくなっていく。

 

何かがおかしい。 何かが変だ。

 

みんな気づいているんだと思う。

 

そうやって苦しんでいる中で、ますます自己嫌悪に陥っていく。

 

 

 

で、私、やっぱり自愛は大事って、思うの。

 

自分の幸せを願って潜在意識に頼っているのに、

 

肝心のその自分を幸せになっていい人物と思えなくて、

 

その自分が心底嫌悪している人物の幸せを許すことができなくて。

 

よく考えたら矛盾しまくりだった。

 

心底嫌いな人物の幸せを願って頑張るなんて、できるわけないじゃんね。

 

だから自愛したかった。できるようになりたかった。

 

というより、もうこんなにもこの世の汚点、世界で一番汚いもの、

 

そんな私への評価を、もう変えたかった。許してあげたかった。

 

だけど、できなかったんだよね。違和感がすごくって。

 

 

 

で、ある時に何かで(失念した)目にしたの。

 

『自分に「愛してる」って言われて、何も感じなくてもいい。それに良い反応が起きなくてもいい。ただ、肯定的な声掛けに慣れるため。愛情のある言葉に慣れるために、沢山自分に肯定的な言葉をかけ続けるってことが重要』って。

 

なんかものすごく腑に落ちました。

 

そう。

 

「愛してる」って言われて、それを肯定的に捉える事のできる人は、

 

小さい子どもの頃から、その言葉を聞くことが普通だからだ。

 

その肯定的な言葉に慣れている。

 

その言葉たちに違和感のないくらいに掛けられ慣れている。

 

ただ、それだけなんだ。

 

 

 

私、自分に「愛してる」って言うことは意味ないって思ってたの。

 

その言葉自体に意味はない。

 

それはある意味そうなんだけど、

 

私にとってその言葉達が聞き慣れないだけってこと。

 

私にとってその言葉を肯定的に掛けられた体験がなさすぎただけってことだ。

 

 

 

そこで、私、何の感情も込めず、

 

(いや、どうやって込めていいのかわからなかっただけもあるけど)

 

「もへじちゃん、愛してるよ」

 

「もへじちゃん、ありがとう」

 

「生まれてきてくれたのがもへじちゃんで本当によかった!」

 

・・・って声を掛けまくったの。自分に対して。

 

気が付いたときはいつでも。

 

声を出して。また、心の中で。

 

 

 

どれくらいやってたかな? 2ヶ月くらい?

 

 

 

そしたら、何も感じないどころか嫌悪感すら感じてたその言葉たちが、

 

嘘くさくて薄ら寒い、その言葉たちがさ。

 

なんとなく、なんとなーく。

 

ちょっとずつ、ちょっとずつ、受け入れられるようになってきた。

 

ちょっとずつ、ちょっとずつ、あながち嘘でもないかも?

 

ってなってきたの。

 

「愛してる」「ありがとう」「大丈夫だよ」「よくやったね」

 

そんな言葉達から嫌悪感が抜け落ちてきて、

 

ちゃんと肯定的な言葉として、真っ当に耳に入ってくるようになった。

 

抵抗感がものすごく少なくなって、そして消えた。

 

 

 

自分が掛けられる声の中で、

 

一番お気に入りが見つかった。

 

それが、これ。

 

『もへじちゃん、大丈夫だよ。もへじちゃんが思っているような怖いことは何も起きないよ。安心していていいよ』

 

この言葉に一番心が動く。安心する。幸せを感じる。

 

で、考えてみたら私って、

 

いつもいつもいつもいつもいつも、

 

下手したら24時間ずっと、

 

生まれてから変わらずずーっと、

 

漠然と世界に対して、人生に対して、恐怖を感じていたな、って。

 

 

 

なんじゃこりゃ!!!

 

そりゃそうか、

 

人生生まれてから死にそうな目にしか合ってない。

 

安心なんてできたことない。

 

だから私、

 

この世は「自分を傷つける怖くて危険な場所!!」って思いこんでたんだな。

 

誰かに「大丈夫だよ」って言ってもらったこともない。

 

誰かが守ってくれたこともない。

 

ずっと自分を守って守って、生きてきたんだな。

 

なんか、可哀想で、涙が出ました。

 

 

 

それで、「愛してる」のついでに、

 

自分に「大丈夫だよ。守ってあげるよ。怖いことは何も怒らないよ」と声を掛け続けたの。

 

 

 

自分にこんな質問をした。

 

『もし私に、まったく不安がなかったとしたら?』

 

 

 

もしそうなら、とても幸せだと思った。

 

何度もそれを想像した。

 

安心している自分を、怖がってない自分を、何度も想像した。

 

そうしたら、体の力がフッと抜けた。

 

その時間が長く維持できるようになってきた。

 

忘れて不安で体が硬くなっていることに気づいたら、

 

スマホメモに書いてある

 

『もし私に、まったく不安がなかったとしたら?』

 

これを何度も読んで、

 

もし本当にそうなら、と何度も想像した。体感した。

 

 

 

ずっと続けてきたら、

 

ある日、あれ? と思った。

 

 

 

私の恐怖心って、幻想だったんじゃね?

 

 

 

だって、安心を想像すると、

 

怖さでいつでも戦闘態勢な身体から、フッと力が抜ける。

 

今。

 

何も起きていない、今。

 

安心を選ぶと、安心な自分になることができるの。

 

 

 

私、自分の世界を選択できるんじゃね?

 

 

 

って気づいた。

 

何も根拠も証拠もなくても、

 

自分が選択した世界を見ることができるし、体感することは可能。

 

何が起こるかわからない恐怖に身体をすくめているのも、

 

何も起こらないと信じて安心に浸っているのも。

 

今すぐできるし、自分で選択できることだったんだ!!

 

 

 

今まで、

 

世界で起こることは自分の力ではどうにもできない。

 

自分は無力で何もできない。

 

って思っていたんだと思う、たぶん。

 

翻弄されるしかない自分を諦めていたのかもしれない。

 

 

 

内面が現実に反映される。

 

その内面は、本当に今すぐ、今ここで、

 

自分が好きなように選択することができる。

 

 

 

 

達人さんは簡単に言う。

 

だけど、簡単じゃなかった。

 

こんな簡単なことが、

 

私にはこんなにも理解するのに時間がかかった。

 

 

 

認識の変更。

 

入り口に立って、

 

そのほんの一部に触れて。

 

だけど、何段階も認識の変更は起きる。

 

深まる。

 

それは何かを信じて、真摯に実行して、

 

体感した時に会得できるものなのかな。

 

 

 

私が今現在体得したことは、

 

どんなメソッドの土台にも、自愛がからんでる。

 

自愛が深まれば、どんなメソッドも簡単に実行できるようになるんだ。

 

 

 

やっぱり自分を置き去りにしては何も幸福につながらない。

 

これが今現在での、私の結論。

 

 

 

自愛が深まるごとに、元祖1式が深まる。

 

いや、もう元祖1式すら意識してない。

 

自分に対する肯定的な捉え方が、意味付けが、

 

自分に対する嫌悪感のない肯定的な眼差しが、

 

どんどんエゴの声を消していく。

 

エゴの声は消えない。消せない。

 

ただ、気にならなさすぎて聞こえなくなるだけ。

 

その声に注視したら、エゴの声はすぐにでも復活する。

 

そのきっかけをもう、与えてあげなくなるだけ。

 

 

 

そして昨日です。

 

とうとう辿り着いたの。

 

「もへじちゃん、愛しているよ」

 

この言葉に、仕事帰りの車の中で泣いた。

 

今まではなんとなく違和感があって、「好きだよ」って声を掛けてたの。

 

その方がしっくりきてたから。

 

だけど、昨日は違ったの。

 

「大好き」が薄ら寒く感じた。

 

本当はもっともっと好きなくせに、って。

 

もっともっと深い愛情を表現したら、

 

「もへじちゃん、愛してる」

 

この言葉になった。

 

「愛してる」がしっくりくると思った。

 

この私の感じている愛おしさを表現するとしたら、それしかなかった。

 

ただ、それだけ。

 

でも思う。

 

自分に「愛してる」って気持ちを、受け入れてもらえる日がくるとは。

 

信じられないよ。

 

だけど、本当に嬉しくて泣けました。

 

声を掛けてもらってる私の方も、幸せで泣けました。

 

 

 

今日は自愛の話だったけど、

 

一つのメソッドを本気で繰り返し繰り返し実行したら、

 

みんな自分を愛したくなるんじゃないかと思っている。

 

だって、それを頑張り続けてあげたくなるほどに、

 

本当は自分のこと、心から愛おしいんだろうから。

 

 

 

最近、自分の中で起こっていることを、うまく言語化できなくて困っている。

 

毎日毎日、たくさんの体感と理解を繰り返しているのに、

 

こんなにも自分の世界が変化を遂げようとしているのに、

 

本当にうまく言語に表現できないの。

 

ただ今言えることは、

 

メソッドを全力でやって、

 

取り残された自分に気づいて愛してあげて、

 

いつも機嫌よく楽しいことだけ考えていればいいよ。

 

だって世界は愛に溢れていて、

 

本当は怖いことは何も起きない。

 

みんなが想像して怯えている、怖いことは、本当に何も起きやしないんだから。