〘 元祖1式 〙198-227日目 自愛が最強だと思う話
ブログを書くのに、1ヶ月以上も開いてしまった。
なんでこうなったかって、
もう、そりゃあもう、忙しかったからですね。
何に忙しかったかって、
『自愛』に!
認識の変更後、
時々湧いてくるエゴに、
まだまだ、時々は翻弄されることもありました。
そんな私に訪れた、自愛奨励期間。
認識が変更されて、
変化する世界もある中で、
本当もう、自然に自然に、自愛をするように導かれたんです。
元祖1式を続けていて、
自愛はあえてしなくても大丈夫だと思ってた。
だけど、
大丈夫じゃなかったんです。
それは自愛に本気で取り組んでみて、知りました。
なんだ、まだまだじゃん。
まだまだとどいてないじゃん。
まだまだやることあったのね。
ってなかんじで。
私は私を好きだと思ってた。
好きになれてきていたから、
もう大丈夫。私、自分大好き。
と思ってた。
そして、
私の潜在意識に自然と導かれるように自愛を始めてみたら、
いやいや、どっこい。
私は私をまだ嫌いなところがあったんです。
本当には私のこと、愛してなかったんです。
私は私のこと、「好きになれるところは好き」
であって、
「嫌いなところは嫌い」
だったんです。
お恥ずかしい。
昔の自分は全くといっていいほど、愛せず、認められず、
自分のこと嫌悪するくらい大嫌いだったから、
「そんなに自分のこと嫌でもないかな」レベルで満足してしまっていたんですね。
今回はそんなこんなで、自愛のことについて書きます。
私がまず取り組んだのは、
自分の望むことを全部叶える、ということ。
これは小さな願望を叶えるってことで、
そんなにたいそれたことはしていないです。
自分に「愛しているよ」と言ってみたところで、
自分からの反応は芳しくなく。
白けている様子すら感じられたのです。
っていうか、「愛する」って何よ。
「愛されてる」ってどういうこと?
わかんないよね。
だって私、人生で人に愛された経験も、
本気で人を愛した経験も乏しいんだもの。
だから人生死にそうだったんだからね! プンスカ!
「愛する」または「愛されてる」って、どういうこと?
どんなことが「愛している」ことになるんだろう?
と考えてみたわけです。
そうしたら、なんとなく浮かんだイメージがあって。
大好きな恋人が、
自分のこと「愛してるよ」「大好きだよ」
・・・って言ってくれる。
嬉しいよね、最高!
だけど、
そう言いつつ、鼻くそほじりながらテレビとかスマホ片手に・・・だったら、
え! それ本気!? 本当に私のこと愛してる!?
って思うよね。
「愛してる」って言ってくれる人が、
自分が泣きながら辛かった気持ちを吐露してる時に、
スマホ見ながら「はいはい、大丈夫大丈夫」「大好き大好き」
・・・とか言っていたり、
「なんでそんなに弱いんだよ!」
「っつーか、そんなことで泣くなよ、めんどくせーな」
「そんな話、聞きたくないんだけど」
・・・とか言ってきたりしたら、
果たしてこれは、愛されてると思えるか?
・・・否!!!
で、自分の中にある「愛してる」「愛されてる」と感じられる行動としては、
自分のことに興味を持つ、
自分の気持に寄り添う、話を真剣に聞く、
口だけじゃなく、行動で示して欲しい!!
絶対に私を否定しないで、責めないで欲しい!!
なんならたとえ私が間違っていたとしても、全肯定して欲しい!!
・・・だったのです。
そう。
自愛は自分に「愛してるよ」と口だけで言ってればいいというものじゃないのです。
前述したように、口だけ彼氏は最低なのです。愛してなんかいないのです。
私が感じられる愛情には、行動が伴っていて欲しいのです。
そこで私は、自分からでる要求全部を、叶えることにしたのです。
「愛してる」っていうことを、行動で示すことにしたのです。
朝目覚めたときから、
『もへじちゃん、今どんな気分?』
『もへじちゃん、今朝は何飲みたい?』
『もへじちゃん、今日はどんなお洋服を着たい?』
自分に、自分の気持を言わせました。
で、「ミルクを泡立てたカフェラテを飲みたい」と言われたら、
何がなんでも、それを実行するのです。
朝忙しいし、瞬時に「めんどくせーな」という思考が湧くけど、
大好きなもへじちゃんが言うのだから、
なにがなんでも達成するのです!
「いい匂いのするネイルオイルを塗りたい」と言われたら、
ハンドクリームで代用すれば楽だし早い・・・とか言わずに、
必ず、後になっても、何がなんでも達成するのです!!
「なんか運動して体をスッキリさせたい」と言われたら、
ひえー、めんどくさい!・・・などと言って一蹴せず、
なにがなんでも達成するのです!!
はじめは自分の希望すら言わない私と、
ちょっとしたことでも瞬時に理由をつけて却下する自分、
この両面に気付かされました。
無意識レベルの虐待でいくと、
私は「あ、トイレ行きたい」と思いついても、
間髪入れずに「これが終わってからでいいや」「出かける前でいいや」
とかなんとか効率的で最もそうな理由をつけて、
そんな生理現象すら、自分に我慢させていたことに気付かされました。
自分の願いは本当にちいさなこと。
それですら、自分は瞬殺で却下していたのでした。
で、ものすごく地道に、私が出す要求を、できるだけ素早く叶えるようにして日々が過ぎていきました。
最初は、それを叶えてあげても、なんにも感じないことが多かったのですが、
それを繰り返していくと、
ある時から私から出る要求の数がどんどん増えるようになりました。
もちろん、すぐに自力で達成可能なことばかりです。
でも、どんどん要求してくれる。
それにせっせと応える毎日。毎瞬。
私から出る要求は、こんなの。
・お風呂にはちみつを入れた保湿風呂につかりたい
・マッサージをしてほしい
・爪にアロマの香りのするネイルオイルを塗って欲しい
・今日の朝ごはんは、大事にしてる上等なお皿で食べたい
・(電気ポットじゃなくて)南部鉄やかんで沸かしたお湯でコーヒーを淹れて欲しい
・小さなキズだけど、絆創膏を貼って欲しい
・今、トイレに行きたい
・お昼寝がしたい
・今日のおやつはケーキがいい
・トイレ掃除をしてトイレをきれいにして欲しい
・そこのホコリが気になるからなんとかして欲しい
・今日は香水の香りに包まれて眠りたい
・お部屋でキャンドルを楽しみたい
・ストレッチして欲しい
・断捨離したい
・スタバでゆっくりしたい
・今日は早めに眠りたい
・バイクを洗車して欲しい
・メイク道具をきれいに掃除して欲しい
・はちみつたっぷりのトーストが食べたい
・歯磨きを丁寧にしたい
ね。全然大したことじゃない。
だけど、これらを後回しにしたり、実行してあげなかったり、面倒臭いと思ったりしていたことに気づいたの。
そんな日々を過ごしていると、
ある時から、自分の中にそこはかとない「幸福感」を感じるようになりました。
要求が叶えられる度に、幸せを感じるんです。
自分責めをして、自分にひどい言葉をかけているときも、
すぐにもうひとりの自分がすっとんできて、
「そんなことない」「私は私のこと大事だから、そんなにいじめるのやめて!」
って、かばってくれるようになった。
また、私から私に対する信頼度が上がった。
必ず叶えてくれるから、要求を素直に言えるようになった。
必ず守ってくれるから、そうやって守ってもらえる私は自分のことを「大切な人間なんだ」と思えるようになった。
自分の要求に応え、自分の感情を否定せず、さらに庇って守り、自分を褒める。
そんな自分が育つにつれ、自分は「愛されてる」と思えるようになった。
「あなたは宝物だから」
私の世話を焼いてくれる私が、よく私に言ってくれる言葉。
これが最近では一番のお気に入りで、
この言葉を思う度に、幸せな気分に浸れる。
また、最近では要求を言うだけではなく、
自分のやってみたいこと、楽しんでみたいこと、についても出てくるようになった。
そして、それをいつものように実行する。
私から出たやってみたいこと、楽しみたいことは、こんなの。
・漫画を読みたい
・映画を観に行きたい
・立体刺繍で蝶々を作りたい
・お部屋をDIYしたい
・違う香りのアロマネイルオイルが欲しい
・お部屋を居心地がいいように模様替えしたい
・おうちカフェできるようになりたい
・朝に温かいスープが飲める生活がしたい
・キャンドルナイト楽しい。キャンドル作りの体験教室行きたい
・Yogibo MAXが欲しい
・パンを作れるようになりたい
これらも、なるべく早く実行に移す。
そうしていると、何をやっていても、毎日が楽しいと思うようになった。
私は私を自分で幸せに導けるようになった。
お金を使わなくても、自分を幸せにできることは山程ある。
自分の声をちゃんと拾えるようになると、
自分が何を望んでいるかがちゃんと分かるようになった。
だれかと比べて、だれかに自慢できるための願望は、本当には私を幸せにしない。
私は私の心の底からの要求に応えることで、
自分を幸せにできるんだってことを、体感できた。
・・・書いてみると大したことはしていないです。
だけどね、すごいの。
私は私のことを、本当に宝物と認識していて、
私は「愛されてる」と無理なく思えるようになった。
また、私は毎日、毎瞬を、心地よくいられるようになった。
そうしたら、ビックリなの。
現実に嫌なことが起きても、
全く反応せず、常に「幸福感」を維持できるようになった。
自分が自分を愛して大切にできるようになったら、
現実や他人の言動で「不幸」になることがなくなった。
そして気づいたら、
元祖1式で頑張って止めていた思考が、
そもそも湧かなくなっていて、
止める必要すらなくなったの。
元祖1式が、頑張らなくてもデフォルトでできるようになった。
もし嫌な思考に囚われそうになっても、
もうひとりの私がすっとんできて庇ってくれるか、
そもそも「楽しいこと」「やりたいこと」で忙しいから、
そんな不快な思考に囚われてる暇がないかのどちらか。
結果的に、今、完全に元祖1式が達成され続けている。
自愛は必要ないなんて言っていたけど、
私は本当の意味で私を愛してみて、
自愛の結果感じている世界が、
認識変更後に感じていた世界と同じだと気づいた。
既にある世界と同じ感覚だと、気づいた。
しかもこの境地は、
認識変更後もエゴはやってきて揺らぐことがあったけど、
自愛を経てからは、揺らぐことが全くなくなったから、
私は今、完全に認識変更後の世界に居続けられている、と感じる。
だけど、自分のことを受け入れていて、毎日楽しく過ごすことが幸せすぎて、
願望とかもうどうでもいい気がする。
なんでも叶うと思える。
なんでも叶うだろうからこそ、必死で願う必要もない。
必要な時期がきたら、私の手元に来るんだろう、と思う。
ということで、
私は私の要求に応えることに、忙しい。
苦しい忙しさじゃない。
ワクワクして、楽しくて、幸福感がずっと続いている。
それが幸せすぎて、また要求に応え続ける。
そうして、いちいちネガティブとか考えてる暇ない自分を、今過ごしている。
私の本願であった恋人。
私のこと大好きなんだろうなぁ、という現実を見ている。
だけど、
私は私のことで忙しいから、
恋人にもっと愛されたい!!と思うこともなくなった。
今一番の願いは、
私は私に、一番に愛されてたい!!!
だと思う。
ほんと、毎瞬毎瞬が幸せの絶頂。
達人さんの言っていた「今、幸せになれ」
っていうのが体感できたよ。
だって、気づいたの。
幸せは「なる」もんじゃないの。
幸せは「感じる」ものなんだって。
なにか願望が叶ったって、「感じ」られなかったら意味がないの。
というか、何も変わらない世界で「今」、幸せを感じることが可能だよ、と言いたい。
そして、その「今」感じている幸せが、
幸せな世界を「創造」していることと、イコールで、
世界に「幸せ」な現実が現れることになる。
だから、今すぐ「幸せ」を感じてみてほしい。
感じられないなら、
自分の声を無視しすぎているのかもしれないよ。
自分の要求を、ひとつひとつ丁寧に実行して、
自分への愛を表明できたら、
世界は幸せの絶頂に変わるよ。
「幸せを感じなきゃ!」って無理して必死になるのでなく、
自然と幸せの絶頂にたどり着く。
私だって自分が喜ぶこと、何かわからなかった。
趣味もないし、自分の楽しいことが何かわからなかった。
私はそうなるほどまでに、自分を無視していたんだね。
って、今ならわかる。
もっと自分の声を聞いて欲しい。
自分の声が聞こえたなら、叶えてあげて欲しい。
自分を信用できず、そっぽ向かれているかもしれないけど、
少しずつ、自分は自分に心を開く。
自愛をすすめると、元祖1式はやりやすいよ。
というか、自愛が進むと、勝手に認識変更の世界に行くよ、という話でした。
読んでくれて、ありがとう!