潜在意識 〘 元祖1式 〙 人生反転実験してます

潜在意識〘元祖1式〙で、人生反転できるか実験してます。

〘 元祖1式 〙101-107日目 螺旋階段を上昇中

 

どうしよう。

 

願望がなくなっていく。

 

なんでかわからないけど、

 

どんどん執着が消えて行っている。

 

 

 

銭ゲバ

 

愛情に飢えてて

 

コミュ障で

 

自分のことが嫌いで

 

 

 

そんな今まで当たり前だった自分の何かが、

 

静かに、静かに、小さくなっていく。

 

 

 

感情の起伏は、日に日に平坦になっていって。

 

嫌な思考に巻き込まれることが、本当にない。

 

 

 

「平坦」というと、味気ない感じがするかもしれないけど。

 

今までの私は感情の起伏がエベレストより高くて、

 

乱降下は深海より深かったので、

 

その振れ幅が小さくなった、ということであって、

 

嬉しいことも、なんとなく嫌だなぁ、ってことも、ちゃんと感じている。

 

 

 

でもなんかね。

 

どう表現していいのかわからないんだけど、

 

「自分最高!」って盛り上がる気分も減って、

 

「自分はダメだ!」なんてへこむこともなくて、

 

とてもとてもフラットな心境。

 

 

 

仙人みたいになったんじゃなくて、

 

すべてのあるものを、『そっか、ありたいようにあるんだな』と、

 

とても静かに受け止めていて、

 

心の中に抵抗が少ないような、

 

心の中に摩擦が少ないような、

 

心の中が澄んでてクリーンな風が吹いてるような。

 

 

 

何もなくなっていないし、

 

現実は相変わらず存在しているし、

 

何かは起きて、何かは終わっていくんだけど、

 

それを必死で握りしめて捕まえてたい衝動が、なくなっていっている。

 

 

 

私はあるようにしかあれないし、

 

世界もあるようにしかあれない。

 

コントロールはできない。

 

 

 

それが悲しくもなく、

 

ただ『そうか』と思う。

 

 

 

あんなに愛されたかった私は、

 

今や、

 

相手が何もしてくれなくても、何も思わない。

 

相手が何もしてくれなくても、恨みも湧かない。

 

 

 

例えば恋人でいえば、

 

連絡くれなくても。

 

会えなくても。

 

旅行に一緒に行ってくれなくても。

 

何もしてくれない相手でも、相手を愛してるんだと、思うのです。

 

 

 

今までと全く違うから、最初、冷めたのか?と思った。

 

今までと違いすぎて、愛しているのか分からなかった。

 

だけど、違うんだってわかるようになった。

 

 

 

私は長い人生、今の今まで、

 

何かをしてくれるから、相手を愛していたんだね。

 

相手から何かを得られるから、相手を愛していたんだね。

 

私は相手からばかり、奪いまくっていたのですね。

 

気づかなかったし、知らなかった。

 

 

 

ほんの小さなことなの。

 

会えること、連絡をくれること、抱きしめてくれること、悩みを聞いてくれること。

 

普通に見える、こんな小さなこと。

 

だけど、それを求めるのは、

 

自分の寂しい気持ちを埋めてもらうためなんだって、気づいた。

 

ほんの小さなことだったけど、これを埋めてもらいたい私の心には、

 

小さくても確実に、無数の穴が開いていたんだって、そう気づかされた。

 

 

 

相手に何も求めなくなった時。

 

私の心の穴は塞がったってことなのかな?

 

それも分からないけど、

 

自由に楽しそうにしている相手を、

 

そっと見守っているのも、

 

穏やかで、とてもいいものである。

 

と、思う。

 

 

 

ちなみに、彼は毎日たくさん連絡をくれるようになっていて、

 

『連絡が欲しい』と強く願っていたあの頃とは、全然違う。

 

『会いたい』と強く願っていたあの頃とは。

 

あの時は欲しくて欲しくて仕方がなかったのになぁ。

 

その時にはなくて、

 

『なくてもいい』(なくても好きは変わらないし、寂しくならないから)

 

と思っている今は、それが叶ってる。

 

ほんと、潜在意識は天邪鬼だ。

 

この矛盾はどこまで続くんだろうねぇ。笑

 

 

 

叶うようになったから、手放せたのか?

 

諦めたから、手放せたのか?

 

 

 

どっちもそうかもしれない。

 

願って、願って、願って。

 

執着して、執着して、執着して。

 

そして疲れて、諦めて。

 

そうしたら、ここに立ってた。

 

 

 

けっして、悲しい感じじゃないよ。

 

散々暴れて、疲れて我に返ってみたら、

 

足元に、もう元々転がってた、みたいな感じ。

 

 

 

あれ、私もう持ってた?

 

って感じ。

 

 

 

そうして思う。

 

なにも願うことがなくなってしまった。

 

でも、欲しいものがなくなったわけじゃないよ。

 

相変わらずお金だってほしいし、

 

ふか~い愛情を注いでくれる恋人は存在してほしい。

 

自分は素晴らしい!と思いたいし、

 

色んな所へいって、いろんなものを楽しみたい。

 

お友達だってほしい。

 

 

 

だけど、

 

世界はなるようになっていて、

 

あるものはもう用意されていて、

 

それが暴れている間には見えなくなっている。

 

ってことに、気づいた気がするから、

 

もう『欲しい欲しい欲しい!!!』って暴れる気が起きない、

 

という感じ。

 

 

 

こうなったからといって、

 

意欲を失ったわけじゃないし、

 

なにも無くしてすらいない。

 

 

 

ただ、なんだろう。

 

あの頃「持っていない」不安で暴れてたのが、

 

「ほっといたら手に入る」から不安にならない。

 

そういう感じかなぁ。

 

実際にはまだ現れていないものもあるんだけど、

 

最近、不思議な偶然が頻発していて、

 

結果的に欲しかったものが手に入った、ってことが増えているので、

 

いつかそのうち、手に入るから、今は考えなくていいや。

 

という感じかも。

 

 

 

暴れるのにはエネルギーがいるし、

 

そもそもこの世界は自分の生き写しなわけだし、

 

暴れても手に入んないものは入んない。

 

暴れなくても手に入るものは入る。

 

ちょっと前はそれが不確定すぎてすごく嫌だったの。

 

だけど今はね、

 

叶ったり叶わなかったりする、結局は潜在意識なんてない。

 

ってことではなくて、

 

自分にとって本当には必要なものは必ず手に入る。

 

という信頼であり、

 

潜在意識が私にふさわしいものを、

 

必ず幸せになれるものを実現させてくれるものであって、

 

叶わないのは私が本当には願ってないってことなのかも。

 

と思い始めています。

 

 

 

そういうと、

 

「逃げ」ともとれるし、

 

「諦め」「潜在意識なんてない」と思う人がいるかもしれないけど、

 

そういうことじゃなくて、

 

潜在意識は、顕在意識で考える私のアイデア以上の、才能と力を持っていて、

 

私の想像のはるか上から、何1000倍も素晴らしい現実をくれる。

 

 

 

私はそれをありがたく受け取って、

 

ものすごく大事に味わう。感謝する。

 

そんな循環が生まれつつあるのです。

 

 

 

元祖1式でいうところの、

 

願望すら潜在意識に丸投げ

 

これが、図らずも少しずつ身についてきているということかな。

 

 

 

だってね、

 

自分が考えていたことよりも、ずっと素敵なの。

 

自分の考えられる範疇を超えて、

 

ものすごく感謝したくなるような現実がプレゼントされるの。

 

自分の思った通りがいい!・・・を手放したら、

 

とっても素敵なプレゼントがもらえる。

 

そうか、私は本当はこれが欲しかったのか!

 

確かに、涙が出るほど嬉しい、感動した・・・。ってなる。

 

そして、自分が今いる世界は、

 

もうすでに素晴らしく完璧だった、と知ることになる。

 

 

 

潜在意識を信頼して、

 

暴れることなく、

 

自分を自由に、

 

他人を自由に、

 

楽に体をゆるめていると、

 

とても心地いいのです。

 

 

 

元祖1式で思考停止をすると、

 

そういう感覚が分かると思う。

 

思考と感情を手放して、

 

ものごとをあるがままにしていると、

 

とても心が落ち着いて、穏やかで気持ちがいいのです。

 

 

 

今日は叶ったことを書くのは辞めておきます。

 

今、小さな実現が、ひとつひとつ連なって、

 

螺旋階段みたいに上昇していく。

 

そんな流れを体感中です。

 

またそれがまとまったら、いつか書きたいと思います。