潜在意識 〘 元祖1式 〙 人生反転実験してます

潜在意識〘元祖1式〙で、人生反転できるか実験してます。

〘 元祖1式 〙30日目 自愛について

 

今日も元気でした。

 

色々と忙しいけど、フラットな気持ちで用事をこなせた。

 

時々、エゴのお喋りに付き合わされたりしたよ。

 

でも、全然平気だった。

 

一緒になって憤ったり、文句言いたくなったりもした。

 

そして、そんな自分に、何とも思わなかった。

 

で、今日は自愛について書こうと思いました。

 

 

 

世界をあるがままにクリアに見ることができるようになってから、

 

その世界に生きている自分のことも、あるがままに受容できるようになった、

 

と以前書きました。

 

そして、それが今、どう進化したかについて。

 

 

 

現在の私はまず、自分に対して嫌悪感を持っていない。

 

以前は受け入れること、自分の存在を肯定することにすら拒否反応があって、

 

自分を愛する以前に、自分が生きていること自体を許せなかった。

 

だって、こんなにダメで、こんなに不細工で、こんなに無能なのに!

 

って思っていたし、

 

自愛をしようとして、その事実にぶち当たるのが苦痛で苦痛で仕方なかった。

 

だから、逃げたの。

 

自分から目を逸らしていたいから。

 

 

 

でもね、最近私が思うのは、

 

その自愛の在り方自体の、方向が間違っていたってこと。

 

 

 

私はまず、「ダメで、不細工で、無能」な自分を自愛で受け入れようと頑張ってたの。

 

でも、ここに大きな間違いがあるのね。

 

まず、そもそも「ダメで、不細工で、無能な自分」は、存在しないんだってことを、知らないといけなかった。

 

その、「ダメで、不細工で、無能」な自分っていうのは、

 

エゴが作り上げて、エゴが認識して、エゴがそうだと決めた自分というもの、なんだよね。

 

で、そのエゴが言っている自分ってのは、すべて真っ赤な嘘なんだよ。

 

ってことを、しっかり分からないといけない。

 

 

 

私がまず間違えてたのは、

 

エゴが作り上げた私、ってのを受け入れて認めて許すことが、自愛だと思っていたこと。

 

そもそも、その自分の評価は嘘っぱちで、そんなダメな自分なんて存在しないのに、

 

それを自愛と称して「受け入れよう!」「認めよう!」「そんな自分でもいい!」

 

・・・そうなんだよね。 おかしいんだよね。

 

ありもしない虚像を、認めるも何も、ないんだからしょうがない。

 

違和感や拒否反応が起こってもしょうがないよね。

 

 

 

私は自愛を間違って、

 

「嘘を信じて受け入れましょう」っていうふうに使ってた。

 

本当にしなきゃいけないのは、

 

「この自分は、真っ赤な嘘で、偽物で、そんなダメな自分なんて存在しない」

 

っていうのを受け入れて、信じて、認めなきゃいけなかったのです。

 

ここ、同じように躓いて失敗している人、いるんじゃないかな?

 

 

 

 

さて。

 

現在の私がどうなっているかというと。

 

自分は超可愛くて、魅力的で、仕事ができて、優しくて・・・とにかく超すごいヤツ。

 

として認識されています。

 

そして、元祖1式で自分をちょっと認められるようになったころから、また進化してて、

 

ハッピーなだけじゃなく、

 

エゴの声に耳を貸してしまって、時々悶絶してる自分ですら、OKと思っています。

 

 

 

以前と違うのは、「いい部分」の自分だけじゃなく、

 

「ちょっとダメかも?」と思う自分についても、

 

いい部分と同じように、愛しくて可愛い! と思っているところ。

 

ちょっとダメかも・・・? には、

 

エゴに耳を貸して元祖1式の思考停止を忘れてしまう自分や、

 

いい加減な人の言動にイラっとしてる自分や、

 

疲れて不機嫌になっている自分、

 

元カレに(頭の中で)罵詈雑言を浴びせ、憂さ晴らしをしている自分、

 

そんなどんな自分も含まれます。

 

 

 

潜在意識を意識し始めると、

 

マイナスなことは思ったり表現したりしたらダメかも・・・!

 

と避けがちだけど、

 

この世界一大切な自分がそう思うんだから、OKだ!!

 

・・・と今は思うんです。

 

この世で一番大切な自分が、何を思っても、何をやっても、何を失敗しても、

 

大切なことには変わらないから。

 

だからいいんです。

 

この世に自分のこと以外で大事なことなんて一つもない、

 

そう思うんです。

 

 

 

でね、今日思ったのは、

 

達人さんが自愛についての時によく言う、

 

「自分がしたくないことは辞めてしまえ」ってやつ。

 

私、これよくわかってなかった。

 

パッと考えて、自分のしたくないことと言えば、

 

仕事に行きたくない、働きたくない、だったのね。

 

でも、すぐに仕事を辞めたら大変なことになるじゃないの。

 

どういうこっちゃ! そんなバンジー飛べないよ! って。

 

 

 

でも、今日分かったことがある。

 

私は数日前、元彼さんのLINEを消しました。

 

ものすごくエゴが抵抗したけど、ものすごくスッキリした。

 

でね、これをしたことで、「自分を守った」「自虐行為をやめられた」と思ったの。

 

自分に対して、行動で愛を表明した、と思った。

 

実際、エゴの大騒ぎを覗いたら、自分に対しての愛が溢れてくるだけじゃなく、

 

自分からも、私に対して、ありがとうって感謝されてるような気分だった。

 

自分と両想いになった瞬間だった。

 

 

 

そして気づいたの。

 

私は、自分が嫌だと思っていることを辞められたんだと。

 

達人さんの言っていた自愛を、ちゃんと出来たんだと。

 

自分がまだ潜在意識に入りたての頃に理解していたこととは、違った。

 

私が理解していたのは、もっと表面的な「嫌なこと」を辞めることだった。

 

仕事行きたくない → 自分が嫌がっている → 辞めなくちゃ

 

この友達嫌い → 自分が嫌がってる → 縁を切ろう

 

・・・みたいな。

 

 

 

多分ね、本当の自愛って、もっともっと深いところが大事で、

 

なんで仕事に行きたくないのか

 

なんでこの友達といると傷つくのか

 

 

 

これは例文だけど・・・

 

仕事に行きたくない → 『自分が無能だと知らしめられるから辛い』

 

かもしれないし、

 

この友達嫌い → 『友達が美人だから、自分が不細工に思えて辛い』

 

かもしれない。

 

 

 

で、本当に辞めるべきなのはまず、

 

『自分を無能だと思うこと』だし、

 

『自分を不細工だと思うこと』なんだと思う。

 

 

 

ようは、表面的なものを辞めるんじゃなくて、

 

まずは、その裏に実は隠れてる自分いじめを辞めましょう、ってこと。

 

(そのもの自体、仕事とか友達とかが自分いじめの原因になってて、どうしても取り除かなければいけないなら、辞めるのもありかと思うけど)

 

 

 

私の体験からだけど、

 

何か自分にとって嫌な気持ちが湧いたり、拒否反応が起きたりする時って、

 

まぁまず間違いなく、自分で自分を責めている時だと思う。

 

何かを見て嫌な気持ちが湧くとき、

 

自分がそれにこだわっていることに気づくのが大切。

 

誰かに怒りたくなったとき、

 

自分が自分にそれを許してないってことに気づくのが大切。

 

 

 

そうやって、知らず知らず、

 

〇〇であらねば!って自分のおしりを叩いて急き立ててたり、

 

〇〇な奴は死ね!と思って、外側に怒りが向いているようで

 

その根底には、・・・死なないでいいように私は〇〇であらねば・・・!って、

 

やっぱり自分を縛って急き立ててる。

 

要は、いつもいつも自分に何も許してあげてないってこと。

 

禁止事項をたくさん作って、大切な自分の自由を奪い続けてるってこと。

 

 

 

だから、表面的なものだけ捨ててしまっても、あまり自愛の効果がない。

 

私の例でいくと、

 

自分(エゴともいう)が、元カレに愛されない自分は死ね! ほら見ろ! LINEも来ねぇじゃねぇか!

 

・・・って責め立てて止まらないので、LINEを消した。

 

そしたら、自分を責める材料が減ったので、楽になった。

 

その中でも大事なのは、まずはこのエゴの声を止めようとすること。

 

そして同時に、この自分に対する評価はエゴの吐く嘘だってことを、しっかり理解しておくこと。

 

 

 

さて。

 

自分を本当の意味で大切にできるようになると、

 

自分からも感謝されるようになった。(ような気がするよ)

 

自分が自分をちゃんと守ってくれるから、

 

(エゴの声から。そして時には現実的な行動で)

 

本当に心が穏やかでいられる。

 

自分が自分からちゃんと愛されていることが信じられるから、

 

冒頭の方に書いたような、

 

一見マイナス面の自分のことも、

 

心から受け入れて許すことができる。

 

だって、そのマイナスがあっても愛してるから。

 

また、そのマイナス評価はエゴの声だってことも知ってるから、

 

だから丸ごと受け入れても、信じてないから恐れずにいられる。

 

「マイナスな面の自分も可愛い!(だってそれ、本当は存在しないこと知っているから)」

 

って感じかな。

 

 

 

なんだか日常が穏やかに過ぎております。

 

以前なら反応していたことにも、

 

反応することがだんだんなくなってきてる。

 

今日で言えば、出かける用事があるのに雨が降ってたら、

 

「出かけなきゃいけない日に限って雨やん! 最悪!」

 

って以前なら絶対思っていただろうに、

 

今日は「あー、雨か。ふーん」って感じ。

 

 

 

すべてのものが、あるがままに見える。

 

そのモノにも人にも現象にも、いらない思考はくっつけない。

 

そうすると、ストレスが本当に減る。

 

あるがままにみえるし、あるがままでいいし、そのまんまでいい。

 

変わってくれなくていいし、そのまんまでもいい。

 

変えようとコントロールしようと思わないし、する気が起きない。

 

あるがまんまで受け入れるって、無償の愛だね。

 

私は本当はずっと、こんな風に愛されたかったんだなぁ。

 

自分のこともそう思うし、他人のことも、あるがままでOKと思う。

 

こんな世界は、ほんと平和でいいな、と思います。