潜在意識 〘 元祖1式 〙 人生反転実験してます

潜在意識〘元祖1式〙で、人生反転できるか実験してます。

〘 元祖1式 〙31日目 エゴの声が小さすぎると捕まえられない話

 

今日は既にある世界の空が、

 

なんとなく曇って見えた。

 

何かな?

 

結構思考停止は上手くできていると思うんだけど・・・

 

と思っていた。

 

 

 

自分の思考をちょっと眺めてみたら、

 

『なんかつまんない』って言っていた。

 

えーでも、毎日目の前のことに集中できてるし、

 

楽しさも感じるし、

 

別に良くない?

 

ダメ? え?

 

 

 

そこで気づいた。

 

この『なんかつまんない』が、エゴの声だった。

 

声として認識するというよりは、

 

なんとなく、そんな感じ。くらいの薄っすらとしたもの。

 

不満はないけど、なんかなー・・・くらいの軽い気持ち。

 

困った! またやられた!

 

エゴ(思考)がちゃんと喋ってるやん!

 

 

 

思考停止をずっとつづけていると、

 

本当にエゴがしゃべらなくなる。

 

でも巧妙に生き延びてはいて、

 

最近なんて「なんとなーく〇〇な感じ」という、

 

非常に薄っすらとした感覚としてアピールしてくる。

 

 

 

以前のように、私の感情が大きく動くようなお喋りはしない。

 

感情が動かされていることに、気づかないほど、ほんの少し。

 

でも確実に、生き延びて自分の仕事をしようとしている。

 

 

 

前は悲しくなったり、苦しくなったり、絶望したり、大変だったから、

 

この「なんとなくつまんない」って気持ちは、

 

自分でも「まぁいっか」とか思ってしまう。

 

だって前は死にたくなるくらい辛かったからね。

 

このくらい別に何ともないか・・・とか思っちゃう。

 

 

 

でも、思考につかまっているのは明白なんだと、

 

今日、気が付いた。

 

 

 

で、急に自分の中で出てきた言葉。

 

『自分は幸せか?』

 

自分にこう質問していた。なんでかわからん。

 

で、答えはもちろん、「 Yes ! 」だったよ。

 

 

 

既にある世界に気づいたら、

 

とめどなく幸せ感なりワクワク感なりがあふれ出てくる。

 

それで高揚するわけではないけれど、

 

じんわりそう感じているようになる。

 

 

 

達人さんのいうところには、

 

認識を変更しても、最初のころは今までの認識と行ったり来たりする、らしい。

 

 

 

私も現在、行ったり来たりしている。

 

認識の変更は本当にただの認識の変更だからね。

 

既にある世界があることを知った。気づいた。

 

でも時々、エゴの声にまた騙される。

 

なんでかってね、

 

既にある世界は、ほんとうに豊かで安心なんだけど、

 

何もやることがないので、暇になる。

 

 

 

暇がダメという話じゃなくて、

 

本当は、本来は、アファもメソッドも必要ないんだってわかる世界。

 

だけどね、

 

そこがあんまりにも今までの認識と違うから、

 

今までは必死に頑張らなきゃ手に入らないのがデフォルトだから、

 

拍子抜けしちゃうの。

 

「え? なんもしなくてもいいの?」って。

 

 

 

そこに生き残りたいエゴが巧妙に入り込んでくるんだね。

 

「暇すぎる」

 

「何もやらなくて、本当にいいの?」

 

「騙されてるんじゃないの?」

 

「結局は自分がそう思っているだけで、そうやって何もしないでいたら、世間から置いてかれちゃうんじゃない?」

 

「ぼーっとしてても、手に入らないよ。だって、今までもずっとそうだったじゃん」

 

・・・みたいな感じですかね。

 

しかも私の場合、もうエゴの声は最小ボリュームだから、

 

なんなら喋ってすらないから。

 

これらの言葉を言わず、「なんとなく違和感」「なんとなく不安」で伝えてくる。

 

明確にしゃべらないところが狡猾で腹立たしい!

 

明確にしゃべってくれたら、即思考停止すんのになぁ。

 

 

 

今日の私は、この「なんとなく」という感覚をつかんで、

 

エゴだと気づいて、

 

で、どうしたらいいのか一瞬分からなくなってしまった。

 

言葉になっているエゴは停止できるのに、

 

この「なんとなく」という感覚はどうやって消したらいいの?

 

 

 

だから私は私に、『私は幸せか?』って聞いたんだね、多分。

 

Yes ! 」って答えた時に、思い出した。

 

そうだった、そうだった。

 

私は「すでに全部あって、幸せが勝手に供給されてくる、安心な世界」にいたんだった。

 

答えは完全に「 Yes !

 

だったら、このモヤモヤする感覚は異物だわ。

 

忘れよう、うん。停止だ。気にしないことにしよう。

 

・・・でも、「幸せ気分に戻れないよ、どうしよう?」

 

↑ ほんでまたこれもエゴの声だった。

 

「幸せな気分に浸れないなら、既にある世界にはいない」

 

これも巧妙なエゴのトリック。

 

また騙されるところだった。

 

 

 

そうです。

 

幸せ気分が湧いてこない。

 

安心感が湧いてこない。

 

= だから自分は認識が変更できていない。もしくは既にある世界を分かっていない。

 

 

 

これはエゴの見せる嘘の公式だと思った。

 

何度も言っているけど、

 

私含め誰も、「すでに全部あって、幸せが勝手に供給されてくる、安心な世界」から出たことなんて一度もない。

 

そこから出てしまっている、というのがすでに分離しているエゴの考え。

 

一度もでたこともなく、今現在もその地に立っているのに、

 

どこかにあるであろう桃源郷を探すのは滑稽。

 

 

 

ってことで、

 

そうだった、そうだった。

 

なんとなくワクワクもしてないけど、

 

私はちゃんと「すでに全部あって、幸せが勝手に供給されてくる、安心な世界」にいる。

 

と決めて、エゴの声は無視することにした。

 

そして無視し続けていると、

 

目の前のことに集中できるから、

 

いつの間にやら、やっぱり疲れない一日が終わったのでした。

 

 

 

気持ちが今ここにないとき、

 

考えているのはたいがいがくだらないネガティブなこと。

 

だったら既にある世界にいる、と決めて、

 

全部忘れて、手放せばいい。

 

信頼って、こういうことだよね。

 

いちいち「本当に叶えてくれるの?」「本当に幸せにしてくれるの?」って確認せず、

 

「大丈夫だ」として安心しきってくつろいでいるのが、信頼している態度だと思った。

 

 

 

私は日々、既にある世界にいることに気が付いてる。

 

だから、叶っても叶わなくても、どっちでもいいんだ。

 

だけど、そうやって手放しで放っておいたら、

 

何もかもをコントロールしたいエゴが、

 

すすすーっと寄ってきて、

 

「ねぇ、何にも実現してないじゃん」

 

「ねぇ、そうしてて何日経ったと思ってるの」

 

「このまま何もなかったら、最悪なことになるよ!」

 

って脅してくる。

 

私に思考停止され続けて居場所のなくなったエゴは、

 

ここが最後の砦らしい。

 

嬉々として絡んでくる。

 

うっとおしいなぁ、と思うけど、

 

エゴだって生き残るのに必死。

 

私は既にある世界にいることに必死。

 

 

 

なんかだんだん、どーでもよくなってきたな。

 

必死に引っ張りあったり、必死に押し合ったり。

 

この必死さがどうもしっくりこない。

 

ってことは、必要ないものってことだな。

 

よし、捨てよう。

 

 

 

ここからやることはやっぱり思考停止。

 

何にも考えない。

 

既にある世界のことも、全部ない世界のことも。

 

全部どーでもいいや。

 

思考停止して、目の前のことを淡々とやろう。

 

 ・・・と、こんな手放しの境地に辿り着いた今日でした。