潜在意識 〘 元祖1式 〙 人生反転実験してます

潜在意識〘元祖1式〙で、人生反転できるか実験してます。

〘 元祖1式 〙32日目 停止すべきエゴに気づくポイント

 

今日はなんだか低空飛行。

 

朝方に見た、めちゃめちゃ疲れる悪夢のせいかもしれない。

 

でもそれより、最近上手く、思考停止できてないからかも。

 

 

 

だから、私の思う認識の変更について書こうと思う。

 

 

 

 

 

③純粋な意図 = なる(願望入れ食い状態)

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|  ②様々な観念 = エゴの囁き、思考

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①既にある世界 = すべての土台(みんなが居る世界)

 

 

 

 

さて! 描けました!

 

まずは①既にある世界、ここに居ることが全ての基本。

 

そして、それは今現在もみんながいる場所。

 

今まで一歩も出たことがない。

 

感覚としては、安心とか愛とかワクワク、もしくはフラットな気分になる場所。

 

 

 

そして①=③です。

 

①に居る限りは、③願望は全て叶っています。

 

たった今も。

 

この「最悪」と思える現実も、全部自分が創った願望の結果の世界です。

 

 

 

で、②様々な観念、

 

これがみんなが消すべき思考(エゴの声)の部分になります。

 

願望は今現在も叶い続けています。

 

でも、自分の「幸せだなぁ」とか「良い」と思う願望じゃない。

 

なんでそうなるのかな?

 

それは、①=③の間に②が恐怖不安怒り不足を混ぜ込んできてて、

 

それが採用されているから、願望が恐怖混じりのものに歪曲されてて、

 

自分の希望通りに創られなくなっているわけです。

 

 

 

だから、私の感覚としては②をどうにか落ち着かすことができれば、

 

①既にある、が③叶う、わけだと思ってます。

 

そこで元祖1式で思考停止すると、①=③で幸せな世界が実現されます。

 

 

 

でも躓くよね。

 

私も①既にある世界に自分が居ることは体感できました。

 

が、②いらない観念がどんどこ湧いてきて、

 

それを停止しきれず巻き込まれたり、

 

エゴのやり方が巧妙すぎて気づかなくてスルーさせてたりしてる。

 

 

 

エゴは本当に巧妙なんです。

 

で、エゴの声をもっとちゃんと拾って(気づいて)

 

ちゃんと停止したいな、と思い至ったわけです。

 

 

 

エゴが出てくる瞬間はほんと多岐にわたっていて、

 

なかなか全部拾ってクリアリングして・・・ってできない。

 

追いつかないというか、多すぎて無理だー、と思いました。

 

で、エゴまみれの私には思考停止がピッタリきたんですね。

 

だって、どれもジャッジせずに全部停止!

 

明確で実践しやすかったの。

 

 

 

でもね、やっぱり隙間をかいくぐって入り込んでくるエゴの声がいて、

 

どうしてよいものか考えあぐねておりました。

 

 

 

で、今日はエゴの声の最初をつかむことができたんです。

 

私の例で恐縮ですが・・・

 

 

 

 

例えば、ベンツを見ました。

 

ベンツが視界に入りました

→ ベンツだ、と認識する

→ うわぁ、ベンツだ。元カレを思い出す~

→ ベンツの中であんなこと話して、手をつないで・・・

→ あぁあぁぁぁ!!辛い!!悲しい!!

 

 

 

はい!

 

エゴが入りました!

 

どこから?

 

・・・分かります?

 

 

 

 

答えは「うわぁ、ベンツだ。元カレを思い出す~ 」

 

・・・ではないんです。

 

 

 

 

正しい答えは、「ベンツだ、と認識する」

 

はい! ここです!!

 

 

 

え? ってなるでしょ?

 

そう! 私も今日気づいて「え?」ってなりました。

 

でも、答えは「ベンツだ、と認識する」ここ。

 

 

 

なんでかっていうと、

 

①既にある世界では、全てあるのですが、それが何なのかいちいち名前つけ・分類をしていないんです。

 

全部のものが「世界」という景色に溶けてて、何かひとつを取り上げて「これは〇〇」ってできないんです。

 

「これは〇〇」とした時点で、世界の中からそれを分離させたことになるから。

 

 

 

ということは、ただのベンツという景色を見て、

 

「ベンツだ」と識別した時点で、それは分離の始まり。

 

=エゴの世界になっちゃう。

 

 

 

それに、あるひとつの車を見て、なんでベンツってわかるの?

 

過去の記憶から想起して、ベンツっていう情報を持ってきたってことですよね。

 

その時点で、エゴの世界(過去・現実)が元になってるんですよね。

 

既にある世界からの認識ではない、ということです。

 

 

 

ってことに、気づいたわけです。

 

以前書いたことがあるけど、

 

ものごとをあるがままに見るには、

 

赤ちゃんになったつもりで見てみるといい、ということ。

 

観念(=名前・情報・説明)を全部はずして見てみることが重要。

 

 

 

そういう目でみると、

 

ベンツ → 車 → 物体 → 景色 → その他のすべてと溶けて、感じることしかできない

 

・・・となる。・・・ハズ。

 

 

 

だから、私ちょっと間違いかけてたんだと思う。

 

思考停止に慣れてきて、肝心な初歩を忘れかけてたのかな。

 

何かを見て、「あ、〇〇だ」

 

この部分からもうすでに思考停止を掛けていかなければいけなかった。

 

何も認識しない。

 

何も説明しない。

 

そのものが何か? を考えない。

 

それをただ、感じるだけ。

 

これしかしなくていい。

 

そうできるように、

 

認識が湧いた時点で、パッと停止なり手放さなければならなかった。

 

 

 

世界をただ、感じることしかできず、

 

それを説明することもできない。

 

ただただそこにあって、感じとることだけ。

 

視覚には入るけど、分析しない。

 

 

 

①既にある世界とは、かようも「無」なものか。

 

でも、だからこそ「有」を生むことができる場所。

 

そして、ただそこにあるものを、あるなぁ、と感じるだけってことは、

 

常に「ある」しかみておらず、不足を感じないことでもある。

 

 

 

偉そうに書いているけど、

 

私はまだ認識の変更←→今までの認識を、行ったり来たりしている。

 

失敗も沢山する。願望は入れ食いじゃない。

 

(自分の内側が実現している、っていう観点からは、ある意味願望は入れ食いなのでありますが)

 

 

 

今日書きたかったのは、

 

「うわぁ、ベンツだ。元カレを思い出す~ 」の部分より前に、

 

エゴはもう既に入り込んでる、ということ。

 

「あ、ベンツだ」の時点からが、エゴの始まり。

 

元祖1式で思考停止をしていくにあたり、

 

この辺を気を付けたらいいと思います。

 

そして、私も気を付けていきます。

 

 

 

さぁて、明日からも頑張ろう。