潜在意識 〘 元祖1式 〙 人生反転実験してます

潜在意識〘元祖1式〙で、人生反転できるか実験してます。

〘 元祖1式 〙33日目 認識の変更って、ホントに認識の変更なのかも

 

昨日の記事で書いた、

 

エゴの始まりは「あ、〇〇だ」と認識する時点から。

 

と、あります。

 

今日はそれについて考えていて、

 

(というか思考停止していて)

 

考えが浮かんだので、書いてみようと思います。

 

 認識の変更って、ホントに認識の変更なのかも、って話。

 

 

 

 

ざっくりですが、人間の認知機能、要するに脳の話をします。

 

 

 

人が何かを視たとき、まず視覚を使って映像を知覚します。

 

その後、その映像は後頭葉の視覚野に送られます。

 

そこから前頭葉へ情報を送る過程で、

 

「これは何か?」

 

「これはどういう形状のものか?」

 

「これの柔らかさは?」

 

「これの重さは?」

 

「これの大きさは?」

 

「これとの距離は? 手に届く? 届かない距離?」

 

などなど側頭葉や頭頂葉で情報が分析されて、

 

次の前頭葉では、その情報を使って思考をします。

 

 

 

「さて、これは〇〇で、これくらいの重さらしいから、持ち上げるには力がいるな」

 

「さて、〇〇は私の嫌いなやつだ。最悪だ。もーやだ」

 

 

 

ただ知覚するだけで、一瞬でこんなことが脳の中では行われています。

 

みなさんが知ってる(よく気が付ける)エゴの声は、

 

この前頭葉で考え始める時点のことが多いんじゃないかな、と思います。

 

 

 

で、昨日私はその声より前の、「あ、〇〇だ」の時点に気づくのが大切!

 

と書きました。

 

 

 

これは視覚で知覚して

 

→ 視覚野から側頭葉・頭頂葉に送られたときに

 

「これは〇〇だ」と認識した時のことだなぁ、と思います。

 

 

 

視覚に入って知覚しただけじゃ、認識はまだされていないのです。

 

ただの映像でしかない。

 

知覚してから、認識するために情報が分析されていき、

 

そうして「これは〇〇だ」となるのです。

 

 

 

 

これはほかのすべての五感に言えるもので、

 

手に触れます(触覚が知覚します) → 認知・分析開始!

 

匂いがします(嗅覚で知覚します) → 認知・分析開始!

 

味がする(味覚で知覚します) → 認知・分析開始!

 

音楽が聞こえる(聴覚で知覚します) → 認知・分析開始!

 

分析されるまでは、ただの体験でしかないのです。

 

そのものを、あるがままに捉えた、というだけの状態なのです。

 

 

 

まず言いたいことは、

 

五感は知覚するだけ!

 

ってこと。

 

それが何か、どんなものか、自分にとって何なのか?

 

を認識するのは、そのあとの脳のお仕事!

 

ってこと。

 

 

 

で、今日、「あ、〇〇だ」の時点から思考停止をしていて、

 

上記のことを思い出したの。

 

(私、一応、医療職なので・・・^^)

 

 

 

で、認識の変更とはつまり、

 

「通常の認知機能を使用しない」って試みである、ということ。

 

 

 

達人さんがよく言ってるように、

 

既にある世界っていうのは、

 

 

目の前の景色を眺めて、「うわぁ、全部ある!」

 

もしくは「この目に映る世界は、全て私が創った(私=世界)」

 

のように世界を認識することだから、

 

認識の変更って、

 

(今まで使ってた)脳の認知機能を変更する、ってことやん。

 

って思ったの。

 

 

 

今まで〇〇を見て、「これは〇〇。私が嫌いなやつ」

 

とか認知していたのを、

 

〇〇を見て、「これは私が創った。完璧だ! わぁ、よかった。全てあるなぁ!」

 

って認知するようになるってことだよね。

 

 

 

これ、今まで当たり前だった認知方式を変えるってことだから、

 

そうとうな繰り返しの反応変更が必要になるんじゃないかと。

 

だって、皮膚に熱湯を浴びて「熱い!!!」 が、→ 「冷た!!!」

 

って感じるくらいの大変更じゃないかな。

 

(あくまで例であって、実際は生命維持に関わることだから、この部分は、こんな風に変更できないと思うけど)

 

 

 

だからか! と思ったの。

 

認識の変更に至る期間が、人によって随分差があること。

 

何度も何度も何度も、同じものを見て違う反応を繰り返した結果、

 

認識が変更されていく(知覚に対する認知反応が変わっていく)んじゃないかと。

 

だって、今まで強固に信じてきたものを、違うものとして認識するようになるんだよ。

 

そうとうな反復刺激が必要じゃない?

 

その必要な反復回数は人によって違ってくると思うけど、

 

共通するのは、繰り返し変更し続けることなんだな、と。

 

何度でも変更されるまで、繰り返し続けることなんだな、と。

 

 

 

認識の変更に至るには、

 

それまで数々のメソッドを通り過ぎる必要もあるのかもしれない。

 

でも、たったひとつのメソッドや試みでもいい。

 

どちらの場合も、必ず必要なファクターは、「実践」

 

絶対にこれだ。

 

 

 

私は元祖1式に辿り着く前に、

 

アファやクリアリング、ポノポノ、セドナ、ブレインダンプ、自愛

 

なんでも試した。

 

そして挫折した。

 

・・・と、思ってた。

 

 

 

でも、これら全部が今の自分の認識変更を支えてたかもしれない。

 

 

 

全部やればいいって話じゃないよ。

 

どのメソッドでもいいの。

 

認知機能の保持しようとする能力を超えるくらいの実践を、と書いてるだけ。

 

正しく実践するためのコツみたいなものは、あると思う。

 

だから、正しく実行するために知識はある程度必要なのかもしれない。

 

だけど、

 

実践

 

これを外しては、認識の変更はできないのではないか、

 

と、今日思い至ったのです。

 

 

 

今まで当然のようにしていた反応を、

 

全く別の反応に変える。

 

ね?

 

よく考えてみたら、

 

筋トレみたいに反復する経験が、必要になるんじゃないかと思う。

 

何度も何度も、違う反応を。

 

 

 

でもさ、これって逆に。

 

コツコツやってたら、

 

「既にある世界が分かった!」って瞬間は、

 

必ず全員に訪れる、ってことでもある。

 

 

 

今日私が言いたかったのは、

 

難しい脳機能のことを言いたかったわけじゃなくて、

 

認識の変更は筋トレみたいに、

 

コツコツ実践すれば、必ず結果がでるんだよ、ってことです。

 

話が小難しくなってしまってごめんなさい。

 

 

 

自分を叱咤激励する意味も込めて。

 

ほんと夢があるよね!

 

だから、諦めずに、とにかく実践しよう!

 

私も頑張るよ!

 

 

 

まだ書きたいことがあったけど、長くなったからまた明日書きます。