潜在意識 〘 元祖1式 〙 人生反転実験してます

潜在意識〘元祖1式〙で、人生反転できるか実験してます。

〘 元祖1式 〙93日目 愛するべき本当の自分

 

今日も充実したー!

 

子どもとトランプを楽しんだ!

 

献血に行ってきた!

 

ネイルに行ってきた!

 

子どものお弁当袋を作った!

 

昨日は庭で花火をした!

 

 

 

いやぁ、楽しんだ。

 

今日の晩御飯はみんなでお好み焼きを作ります♡

 

 

 

さて。

 

今日は書いておきたいことができたので、書いておきます。

 

 

 

前回のブログで、「職場のいけすかない女性に傷つけられる私」を書きました。

 

私、やっぱりこの女性と戦えない自分は弱くてダメで、変わらないといけないのかな?ってチラッと思う気持ちがぬぐえなかったの。

 

で、昨日たまたま自己啓発系の本を買って読んで、

 

その中にあったワークを何の気なしにやってみた。

 

そのワークは、自分の幼き頃を振り返って、

 

自分がどんな趣味・趣向・性格なのかを思い出すためのワーク。

 

潜在意識とは関係なくて、顕在意識寄りのワーク。

 

 

 

で、自分の子どもの頃を振り返って、

 

色々と思い出していた時に気が付いたのです。

 

私は生まれつき、優しい人間だった!! と。

 

 

 

それはどういうことかというと、

 

私、子どもの頃はみんなの人気者で、

 

私を取り合ってケンカが勃発したり、

 

逆に、愛しさ余って憎さ100倍、みたいに、

 

「○○ちゃんと仲良くするなら、もう遊んであげない!」

 

みたいな仲間外れをよくされていたのですね。

 

それに、家では姉から陰湿ないじめをうけておりましたし。

 

 

 

で、思い出したのは、

 

そんな意地悪やひどい言動を受けたことがたくさんあるにも関わらず、

 

私、一度もやり返したことがなかったんです。

 

 

 

相手に100倍返ししても別に構わないのに、

 

今までの人生で、一度も人に仕返しをしたり、意地悪をしたことがなかったんです。

 

古い記憶を辿ってみたら、人に意地悪をする自分、っていうのが、

 

全く存在しなかったんです。

 

 

 

要はやられるまま、されるがままだった、ってことなんだけど、

 

泣いたりしたこともあったけど、

 

だけど一度も相手を傷つけたことがなかった。

 

 

 

私は昨日まで「やられるがまま傷つけられる弱い自分はダメ」って悩んでた。

 

なんなら「やり返せる強い自分にならなきゃいけない!?」とすら悩んでた。

 

だけど、納得した。

 

私は生まれつき、人を傷つけることができない人だってこと。

 

そうなるとそれは「弱いからダメ」なんてことじゃなく、

 

私が「生まれつきかなりの善人だ」ってことじゃないか!!

 

 

 

で、

 

やばい、自分最高!!

 

女神!! 女神すぎる!!!(自画自賛

 

・・・となりました。

 

 

 

そしてもう一つ思い出したことが。

 

私は思いつきで動くのが大好きで、

 

他人に興味がない、ってこと。

 

 

 

予定を立てるのが嫌い。

 

思いついたその時に行動したい。

 

その日に何をしたいかは、その日になってみないと分からない。

 

かなりの気分屋。

 

 

 

そうだった。

 

私、いつの間にか常識的に生きることに一生懸命になって、

 

本来の自分っていうのと違う方向へ走ってきてしまったんだ。

 

例えば

 

「みんなが納得してくれるようにちゃんと計画を立てる。予定は守る」

 

「人の気持ちを一番に考え(自分のことは後回し)、興味を持つこと」

 

「思いつきで行動しない。思い付きで出かけない」

 

「思ったことはそのまま言葉に出さない。逡巡してから喋る」

 

「私のやることはいつも間違っているから、みんなと合わせて無難に行動すること」

 

 

 

いや、書いていたらきりがないけど、

 

私は自分の親も見放すほど衝動的で、行動的で、

 

納得いかないものには絶対に従わなくて、

 

思ったことはすぐに口に出して、

 

楽しいことはとことん追求する(他人にどう思われてもいい)。

 

そんなパッションでしか動いてない人間だった。

 

だから母親に嫌われたんだけどね。

 

人の言うことに従わないから。

 

今は気分じゃない、とか思ったら、学校のテストも白紙で提出してた。

 

気分が乗らないときは欠席するし。

 

間違っていることには間違っている、と誰に対しても言う。

 

 

 

書いてみると、「それ、子どもだからできるんじゃん」って思うよね。

 

「大人になったらそういうの、抑えるもんなんじゃない?」って思うよね。

 

私もそう思ってた。

 

だから、常識に沿うように大人になった。

 

 

 

そしたら、ビックリするほど、人生が面白くなくなった。

 

 

 

うん。

 

ほんと、クソがつくほど面白くなくなった。

 

 

 

なんかね。

 

昨日のワークで、

 

私はやっぱりそのままでいい。

 

そう思った。

 

そしてそれは「今の自分のまま」ではないんだな、って思った。

 

「変わらなきゃ!」じゃないの。

 

ただ、本来の自分に戻ることを、自分に許すんだ!って思った。

 

そうしてあげなきゃ、

 

自分は自分に殺されるんだ、って思ったの。

 

 

 

いや、常識を意識して、自分を変えた時点で、

 

私の自分虐待は始まっていたのかもしれない。

 

だから、自愛の観点からいくと、

 

私は人生の半分以上を、「生まれつきの本当の自分は認めない」と、否定し続けてきたのかもしれない。

 

自愛とは正反対のことを、自分に課し続けて、自分に意地悪をしていたのかもしれない。

 

 

 

ワークをしたおかげで、

 

あんなに忌み嫌ってた本来の自分を、

 

そっと受け止めることができた。

 

人生を上手く生きていくために、切り捨てた本当の自分。

 

上手くいくためには邪魔だった、本来の自分というもの。

 

それを、今は、「けっこういいじゃん」

 

もしくは「そっちの方が、愛せる」

 

と、思い始めている。

 

だって、頑張って作って来た自分だけど、

 

なんか中身すっからかんで、張りぼて感が否めない。

 

本物感がない。嘘っぽい。軽い。

 

ともすると、生きてる実感がない、ともいう。

 

 

 

で、冒頭の話に戻るけど、

 

「職場のいけすかない女性に虐められる自分」

 

「それに対抗しない自分」

 

この問題については、

 

「私は元々攻撃性がないから、やり返すのは無駄」

 

ってことが分かった。

 

で、対処法はというと、

 

そうやって意地悪されても、全く意に介さない、子どもの頃に持っていたあのメンタルを取り戻すこと。

 

私、他人にほんと興味がないのですね。

 

旦那様の誕生日すら、覚えることができなかった。笑

 

仲間外れにされても、「あ、別に楽しいことあるんでいいでーす」って感じであっけらかんとしてた。執着しなかった。

 

でも、それがダメだと思って、必死に他人に興味を持つように頑張った。

 

人の要望と顔色をうかがいながら生きるようになった。

 

これでいいですか? これで正解ですか? って。

 

その努力が全部無駄だったとは言わないけど、

 

もういいかな。

 

本来の自分を取り戻してしまいたい、と思った。

 

 

 

あんなに嫌いだった自分が。

 

実際に変えてしまうくらいに嫌だった自分が、

 

本当は自分を助ける、大事な大事な自分だった。

 

 

 

と、昨日とうとう本気で気づくことができたのですね。

 

親に嫌われるほどの自分を、認めることができず、

 

他人に注意されてしまう自分を、認めることができず、

 

努力をしてなくしてしまった。消し去ってしまった。

 

それが、心底人生をつまらないものにするし、

 

とても悲しいことなんだ、と気づくことができた。

 

 

 

私は本来の自分を丸ごと取り戻さなければいけない。

 

そう決意した今日なのでした。

 

 

 

元祖1式とは関係のない話ですみません。

 

でも、丸ごと受け止めて肯定すべき自分が、

 

「今の」自分ではないってことに、やっと気づけました。

 

「今の」私で居続けることは、自分を受け入れてないってことなんだと。

 

自愛を地味に続けてきて、ここに辿り着いたのは幸いでした。

 

そう思うと、

 

「職場のいけ好かない彼女」

 

この人が、私をここに導いてくれたとも言える。

 

やっぱり世界は私に意地悪なんてしていないし、見放してもいない。

 

なんか重要な何かのために差し出された、ギフトなんだな。

 

 

 

 

実際、どうやって元に戻ろう?

 

とも思いますが、

 

何も考えず、「自分最高!」の精神で進めていきたいと思います。